奴国の丘歴史公園(須玖岡本遺跡)

福岡県春日市にある、弥生時代の遺跡が須玖岡本遺跡。116基の甕棺墓などが発見されていますが、王墓の上石(うわいし)と推測される大石の下の甕棺墓(かめかんぼ)からおよそ30面の中国の前漢鏡、また銅剣2本、銅矛5本、銅戈1本などが発掘され、一帯が金印で有名な奴国の中心地と推測され、奴国の丘歴史公園として整備されています。

『後漢書』、『魏志倭人伝』に登場の「奴国」の王墓がここ!

公園内には、甕棺墓群を発掘した状態で見学できる覆屋(おおいや)や、奴国王墓の上石を展示保存し、自由に見学することができます。

また、出土品を収蔵展示し、奴国の暮らしを解説する「春日市奴国の丘歴史資料館」も建っています。

国指定の須玖岡本遺跡からは、昭和54年〜55年の発掘調査で、弥生時代中期の甕棺墓116基、土壙墓(どこうぼ)・木棺墓(もっかんぼ)9基と、これに伴う祭祀(さいし)遺構が確認されています。

埋葬遺構は300基以上に及んでいたと推定され、古代のクニの中心だったことが判明しています。
墓地の北端部に位置する覆屋A棟では、弥生時代中期中頃(紀元前1世紀)の甕棺墓群の一部と祭祀遺構が見学できます。

墓地の西端部に位置する覆屋B棟では、弥生時代中期後半(紀元前後)の甕棺墓、土壙墓、木棺墓、竪穴(たてあな)遺構が見学できます。

4トンの重さの王墓上石は、明治32年に発見された甕棺墓(王墓)の上石で、平成10年、現在地に移設されたもの。

魏志倭人伝には「官曰兜馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸」と記されています。
これを現代語に訳せば、「長官を兕馬觚(じまこ、じばこ)といい、副官は卑奴母離(ひなもり)という。2万余戸がある」となります。

奴国の丘歴史公園(須玖岡本遺跡)
名称 奴国の丘歴史公園(須玖岡本遺跡)/なこくのおかれきしこうえん(すぐおかもといせき)
所在地 福岡県春日市岡本3-57
関連HP 春日市公式ホームページ
電車・バスで JR南福岡駅から徒歩20分
ドライブで 九州自動車道太宰府ICから約5.4km
駐車場 春日市奴国の丘歴史資料館駐車場(22台/無料)を利用
問い合わせ 春日市奴国の丘歴史資料館 TEL:092-501-1144/FAX:092-573-1077
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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