志賀島・火焔塚

志賀島・火焔塚

金印(漢委奴国王印)発見の地として知られる福岡県福岡市の志賀島(しかのしま)。鎌倉時代には、元寇(蒙古襲来)の際の第二次侵攻、弘安4年(1281年)の際には元軍に占領されたこともありました。その弘安の役で、高野山の僧侶が護摩を焚き、蒙古軍の降伏を祈祷した場所が火焔塚だと伝えられています。

高野山南院・賢隆が異国降伏祈禱を行なった地

祈祷の甲斐あってか、蒙古軍が退散し、幕末の高野山南院の院主・研暢が、秘仏・浪切不動の摸刻を作って、奉納したため、その後、火焔塚という名が付いたとされています。

鎌倉時代、高野山には鎌倉幕府の出先機関・金剛三昧院(こんごうざんまいいん)があり、恩沢奉行(おんたくぶぎょう=御家人の勲功について調査し、恩賞の支給の是非を判断する役職)の安達泰盛(あだちやすもり)は金剛三昧院を拠点に、国家的な存亡の危機に面した対元戦争の戦争指導を行なっていたのです。
高野山南院の賢隆は、空海自刻という秘仏・浪切不動を手に博多に下向し、志賀島で五壇護摩の祈禱、異国降伏祈禱を行なっています。
神風が吹いて元軍(蒙古軍)は敗退したので、その霊験は世間に周知され、高野山に戻った賢隆は、79代高野山検校(けんぎょう=座主)となっているのです。

高台の潮見公園から志賀海神社(しかうみじんじゃ)に下る途中にあるので、ぜひ寄り道を。

志賀島・火焔塚
名称 志賀島・火焔塚/しかのしま・かえんづか
所在地 福岡県福岡市東区志賀島
関連HP 福岡市公式ホームページ
電車・バスで 西鉄バス志賀島バス停、または、市営渡船志賀島旅客待合所から徒歩20分
ドライブで 九州自動車道古賀ICから約22km
問い合わせ 福岡市経済観光文化局 TEL:092-711-4666/FAX:092-733-5537
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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