福岡県北九州市門司区、関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)の建つ門司港レトロ地区の西端にある歴史的建造物が旧大連航路上屋。昭和4年、門司税関1号上屋として西海岸に建設された建物で、日本と中国・大連(満州)を結ぶ日満航路の玄関港だった門司港の国際ターミナルとして使われていました。
大連と結んだ国際航路のターミナルビルの遺構
設計は国会議事堂、山口県庁舎・議事堂、富山県庁舎、横浜銀行協会などの公共建築を手掛けた大熊善邦(おおくまよしくに)。
大連航路上屋の設計した当時は、大蔵省営繕管財局工務部工務課長でした。
アール・デコ様式で、出入り口脇の監視係事務室が半円形に飛び出しています。
大連航路の待合室としての利用が多かったため、大連航路上屋、あるいは大連航路待合室と呼ばれていました。
1階には貨物置き場、保管旅具置き場、貨物事務室、監視係事務室、旅具検査場、旅客溜が、2階には一般待合室、特別待合室、携帯品検査場、郵便電信係室、予備室が配されていました。
2階へと続く大階段は、出国審査を済ませた旅客を2階の待合室へと誘うもの。
階段の親柱もアール・デコ様式です。
2階の回廊部分は、接岸した大型の貨客船に乗り込むボーディングブリッジとつながっていたと推測できます。
戦後は、朝鮮戦争勃発とともに、アメリカ軍に接収され、昭和47年に返還。
昭和51年から門司税関仮庁舎として使われていましたが、昭和54年に新庁舎が完成したため、復元工事が行なわれ、平成25年に旧大連航路上屋として再生しています。
多目的スペースとして貸室になっているほか、1階に映画・芸能資料館「松永文庫」が入っています。
エントランスホールには大連と北九州のかかわりなどを紹介する展示コーナーも設置。
日本遺産「関門ノスタルジック海峡~時の停車場、近代化の記憶~」の構成資産になっています。
大阪商船が就航した大連航路
日露戦争後の日露講和条約(ポーツマス条約)、日清善後条約(満洲善後条約)で、日本が大連を租借した明治38年以降、大連は、満蒙開発の拠点港として機能し、大阪商船(現・商船三井)が大阪〜神戸〜門司〜大連に、「舞鶴丸」、「舞子丸」、「千代丸」、「泉州丸」、「基隆丸」、「咸興丸」を就航、月4〜5往復の船便がありました。
門司港に大連航路上屋が建設された昭和4年頃は、「哈爾賓丸」(はるびんまる)、「ばいかる丸」、「亜米利加丸」、「香港丸」、「うらる丸」が就航していました。
いずれも6000tほどの大型の貨客船で、「亜米利加丸」、「香港丸」は東洋汽船が北米航路で使っていた船を購入し、大連航路に投入したもの。
とくに昭和4年には大連航路の増強として、「ばいかる丸」の拡大改良型「うらる丸」(1等65名、2等130名、3等583名)も就航しています。
昭和恐慌のさなか、満蒙開拓への夢を託した三菱造船所で建造された高速貨客船(最新式の快速船として投入されています)です。
「うらる丸」の投入で、毎月10航海という運航が実現しています。
旧大連航路上屋 | |
名称 | 旧大連航路上屋/きゅうだいれんこうろうわや |
所在地 | 福岡県北九州市門司区西海岸1-3-5 |
関連HP | 門司港レトロ公式観光ホームページ |
電車・バスで | JR門司港駅から徒歩5分 |
ドライブで | 関門自動車道門司港ICから約2.9km |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 旧大連航路上屋 TEL:093-322-5020 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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