稲童1号掩体壕

稲童1号掩体壕

福岡県行橋市(ゆくはしし)稲童にある第二次世界大戦時の戦争遺跡が、稲童1号掩体壕(いなどういちごうえんたいごう)。掩体壕とは飛行機を格納し、爆撃などから守るシェルターのこと。稲童地区(当時は築上郡八津田村)には、築城海軍航空隊基地があり、起伏のある地形を活かして掩体壕が築かれたもの。

築城海軍航空隊基地の掩体壕を史跡広場として保存

稲童1号掩体壕

海軍の築城海軍航空隊基地は昭和14年12月に建設を開始、昭和18年4月に完成していますが、昭和19年7月にサイパン島が陥落し本土空襲の恐れが生じたため、8月頃から誘導路、掩体壕の建設が始まっています。
現存する稲童1号掩体壕のような屋根付きの有蓋掩体壕が7基前後、コの字状に土塁を盛った無蓋掩体壕13基が築かれましたが、戦後、その多くは取り壊されています(稲童漁港周辺に数基現存)。

滑走路は全長1800m、幅50mで、西南西から東北東、海に向かって伸びていました。
稲童地区に航空基地が築かれたのは、瀬戸内海、関門海峡という内界航路の要衝を控え、呉、佐世保という軍港に近いという地理的な重要性から、航空防衛の拠点として選ばれたため。

昭和17年6月のミッドウエー海戦の大敗で、日本海軍は航空機と熟練搭乗員の多くを失い、パイロットの養成が急務となったのです。
そのため築城海軍航空隊基地では、錬成基地として搭乗員の教育や、瀬戸内海を訓練空域にして海上爆撃訓練、雷撃訓練、航空母艦の発着訓練など実機での訓練が行なわれていました。
太平洋戦争の末期には特攻隊の中継基地、出撃基地(昭和20年2月に築城基地に特攻隊編成)にもなるという悲しい歴史も有しています。

戦後は、アメリカ軍に接収され、現在は航空自衛隊築城基地に転用されています(現在の滑走路と並行した場所に往時の滑走路がありました)。

少ないコンクリートで、強度を保つため、起伏を活かし、かまぼこ型の掩体壕が築かれています。
稲童1号掩体壕は、入口の幅26.8m、高さ5.5m、奥行きは23.5mと大型で、陸上爆撃機「銀河」、「一式陸上攻撃機」など中型の飛行機を格納していました。

アメリカ軍の偵察機で確認されないよう、掩体壕には土を盛り、草木を植えて自然の丘陵にみえるようにカモフラージュしていました。
実際には掩体壕と滑走路との間には幅40mの誘導路があり、航空基地であることは明白で、激しい空襲の目標になっています。

稲童1号掩体壕は史跡広場として整備され、仲津小学校にあった奉安殿と、稲童地区の空襲の際に銃撃を受けたレンガ塀が移設保存されています。
稲童1号掩体壕の側面もよく見ると銃撃の痕跡(航空機からの機関銃の弾痕)があり、空襲の激しさ、戦争の恐ろしさを今に伝えています。
崩落の危険もあるため掩体壕の内部は立入禁止。

稲童1号掩体壕
名称 稲童1号掩体壕/いなどういちごうえんたいごう
所在地 福岡県行橋市稲童1095-17
関連HP 行橋市公式ホームページ
ドライブで 東九州自動車道みやこ豊津IC、築城ICから約4.5km
駐車場 7台/無料
問い合わせ 行橋市文化課文化財保護係 TEL:0930-25-1111(
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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