外国人観光客が東海道新幹線に乗車した時、もっともカメラやスマホをパシャパシャするのが富士川橋梁。そして並走する東名高速道路では、日本一、富士山が綺麗に見えるスターバックスというのが「スターバックス・コーヒー 富士川サービスエリア下り線店」です。なぜ、富士川からの富士山は印象的なのか、その謎に迫ります。
街道時代には渡船で川を渡った!
安藤広重の『五十三次名所図会』十六「蒲原 岩渕の岡より不二河眺望」(安政2年/1855年)には、富士川と富士山が描かれています。
画面中央には富士川の渡船の様子が、そして中央には岩本山がデンと腰を据え、その右肩に雪化粧をした富士が顔をのぞかせる図です。
江戸時代から明治まで、当時、日本一の陸上幹線ルートだった東海道を分断する富士川を渡るには渡船を利用しました。
南アルプス(赤石山脈)を源流とする富士川が天下に聞こえた急流(日本三大急流)であり、水量も多いことと、江戸に幕府を開いた徳川家康の政策によるものでした。街道の宿駅整備にあわせ渡船の制度を定め、渡船は岩渕村と岩本村との間で行なわれました。
吉野川は急流ということでいえば山形県の最上川、熊本県の球磨川とともに「日本三大急流河川」に数えられ、河川の水量としては河口部の静岡県富士市北松野地先で毎秒1万6600立法で、徳島県の吉野川、和歌山県の新宮川に次ぐ全国第3位。
用いられた船は、定渡船、高瀬船、助役船の3タイプで、通常の定渡船は、旅客30人と牛馬4匹を乗せ、船頭5人で川を渡りました。
東岸の渡船場は松岡地内の一番出しから川下二十町の間で、上船居(東海道上往還)、中船居(中往還)、下船居(下往還)の3ヶ所があり、川瀬の状況で使い分けていました。上船居と中船居の場合、富士川の中央に中洲があるため中洲まで支流側では徒渡し(徒歩)となり、中洲から渡し舟に乗船しました。
富士川下流部は比高日本一で、富士山を気高く仰ぐ
そんな富士川渡船で旅人の「楽しみ」となったのが富士川河原からの富士山と愛鷹山の眺めです。
現代の交通の大動脈となっている新幹線、東名高速道路でもその「楽しみ」は、同じです。
富士川から眺める富士山は古来、気高い富士、神々しい富士として有名です。
中世(鎌倉時代)には富士川左岸の岩本周辺に有力者の墓塔群も建立されました。
富士川は、日本列島を東西に二分するフォッサマグナ(中央地溝帯)の一画。
現在、国内の電気は、富士川と糸魚川市(新潟県)を境にして、東側は50ヘルツ、西側は60ヘルツの電気が送られています。
つまり、地質的にも電気的にも日本を二分するのが富士川というわけ。
富士山が「気高く」屹立(きつりつ)するには、フォッサマグナという地質的な要因があるのでしょう。
駿河湾の富士山に最も近い海岸部・田子の浦から富士山と、富士川からの富士山の距離はほぼ同じ。
静岡県道396号富士由比線富士川橋(旧東海道)=標高約27m/24.7km
田子の浦=標高2m/富士山までの距離24.3km
富士川は、比高(近接する2地点の高度差)3750mという、田子の浦と並び日本一の比高を誇るポイント。
富士川は富士山頂までの距離が、25km。その標高差は3750mと、富士を仰ぐのには願ってもない場所だったのです。
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