岐阜県不破郡関ケ原町、JR東海道本線・関ヶ原駅の西700m、国道21号沿いにあるのが、関ヶ原古戦場・西首塚。関ヶ原合戦では東軍に与し、黒田長政陣に参加した竹中重門(たけなかしげかど=秀吉の軍師・竹中半兵衛の子)が西軍諸将の首を埋葬した塚です。
東の首塚と対を成す、戦死者を葬った塚
竹中重門は当時、美濃国不破郡5000石を領有、関ヶ原合戦の地も領内ということで、徳川家康の命により、諸将の亡骸を、東首塚、西首塚に分けて埋葬しています。
JR東海道本線の敷設の際に埋葬されていた白骨が大量に出たので、実際にかなりの亡骸が埋葬されていたことがわかります。
西首塚は「胴塚」とも呼ばれているので、東首塚にまず首を、さらに胴以下を西首塚(胴塚)に埋葬したとも推測できますが、東首塚は東軍関連、西は西軍関連の首塚とする説もあり、定かでありません。
ただし、徳川家康最後の陣跡に近い東首塚には床几場で家康が首実検した際に首級の汚れを落としたという首洗いの井戸もあるので、東首塚は東軍関連というのも疑問です。
いずれにしても国内最後の大きな合戦ともいえる関ヶ原合戦では、数千人規模で兵士が死んでいるので、雑兵などをまとめて一帯に葬ったのかもしれません。
「岐阜関ケ原古戦場記念館」の設定する関ヶ原合戦散策の「大谷吉継コース」では、「岐阜関ケ原古戦場記念館」を起点に、西首塚、藤堂高虎・京極高知陣跡、松尾山展望地、大谷吉継陣跡、大谷吉継墓、平塚為広碑、宇喜多秀家陣跡、石田三成陣跡を巡り、記念館に戻る周回ルートを設定しています。
関ヶ原古戦場・西首塚 | |
名称 | 関ヶ原古戦場・西首塚/せきがはらこせんじょう・にしくびづか |
所在地 | 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原2236 |
関連HP | 関ケ原観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR関ケ原駅から徒歩10分 |
ドライブで | 名神高速道路関ヶ原ICから約1.3km |
問い合わせ | 関ケ原観光協会 TEL:0584-43-1600/FAX:0584-43-0915 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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