上野国分寺館

国指定史跡の上野国分寺跡のガイダンス施設。古代建築の権威である工藤圭章氏と考古学の大家である坪井清足氏の指導を得て、精密に再現した20分の1スケールの七重塔の模型などで往時の伽藍配置を学べるほか、発掘調査で出土した平瓦、軒先平瓦、丸瓦、軒先丸瓦などの遺物が展示されています。

七重塔が20分の1スケールで復元

館内では上野国分寺の歴史をまとめたビデオ、往時の想像図などから律令時代の上野国分寺の様子が浮かび上がってきます。

全国の国分寺の中でも最大級で、しかも短期間で完成したと推測される上野国分寺。
高さ60.5mの七重塔は、実は平成10年に21階建ての高崎市庁舎(高さ102m)が完成するまで、群馬県における歴史上最高層の建物だったのです。

上野国分寺館
名称上野国分寺館/こうずけこくぶんじかん
所在地群馬県高崎市引間町250-1
関連HP群馬県公式ホームページ
電車・バスでJR前橋駅から群馬バスイオン高崎行きで国府小学校東、または、妙見参道下車、徒歩5分
ドライブで関越自動車道前橋ICから約3.4km
駐車場23台/無料
問い合わせ上野国分寺館 TEL:027-372-6767
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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