新島襄旧宅

新島襄旧宅

群馬県安中市にある天保14年(1843年)、安中藩士の子として江戸・神田に生まれた新島襄の実家が、新島襄旧宅。渡米してキリスト教徒となって帰国後に、安中の実家に戻り、布教活動を行なっていますが、その拠点としたのが現存する新島襄旧宅です。

新島襄の実家は安中に!

同志社を創立した新島襄は、天保14年1月14日(1843年2月12日)、江戸・神田一ツ橋の安中藩・江戸上屋敷(現・千代田区神田錦町、学士会館のある場所)で安中藩士で江戸祐筆(ゆうひつ=書記)見習・新島民治(にいじまたみじ)の子として生誕。
慶応元年(1865年)に箱館港から米船ベルリン号で出国、上海でワイルド・ローヴァー号に乗り換え、アメリカ・ボストンに上陸。
フィリップス・アカデミーを卒業後、名門のアーモスト大学へ。
帰国後、父母の住む安中へ帰郷し、キリスト教を伝道。
その拠点となったのが、現存する新島襄旧宅です。

安政4年(1857年)に没した安中藩主・板倉勝明(いたくらかつあきら)は、学者藩主と称されるように、学問を奨励し、藩政改革に尽力(有名な碓氷峠までの「安政遠足」も板倉勝明の発案で、藩士の鍛錬のために行なったもの)。
新島襄も青年時代まで、板倉勝明の藩政で育っているため、その感化を受けています。
帰国後は、キリスト教の伝道に尽力し、明治11年3月31日には、地元の求道者30名(男子16名、女子14名)に洗礼を行ない、新島襄の司式で「公会設立式」を執り行なって、明治16年に碓氷会堂が建設され、現在の安中教会の前身が生まれています。

ちなみに、上毛かるたの「へ」は、「平和の使徒新島襄」です。

新島襄旧宅
名称 新島襄旧宅/にいじまじょうきゅうたく
所在地 群馬県安中市安中1-7-30
関連HP 安中市公式ホームページ
電車・バスで JR安中駅からタクシーで10分
ドライブで 関越自動車道高崎ICから約16km
問い合わせ 学習の森 TEL:027-382-7622
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

Avatar photo

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

おすすめ

よく読まれている記事

こちらもどうぞ