群馬県渋川市金井にある金井遺跡群のひとつが金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)。平成24年から行なわれた調査で榛名山の爆発による火砕流に埋没した「甲を着た古墳人」(よろいをきたこふんじん)が発掘され(古墳時代の遺跡から、小札甲を纏った状態での人骨を発掘)、「日本のポンペイ」として注目を集めました。
面長な顔つきの「渡来的形質」の人骨が甲を着用!
遺跡は、榛名山の北東麓を流れる登沢川の扇状地、標高230m内外の緩やかな傾斜地に位置し、東側は20mほどの崖という天然の要害。
地質調査から榛名山は6世紀初頭に大爆発を起こし(榛名山二ツ岳溶岩ドームを形成)、金井東裏遺跡とともに、同じ渋川市の黒井峯遺跡(くろいみねいせき)も火山災害で、瞬時に壊滅、埋没したと推測されています。
上信自動車道の建設に伴って、平成24年9月〜平成26年3月の間、公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団が発掘調査を行なったもの。
鉄製矛、鉄鏃など豊富な鉄製品なども発掘されましたが、やはり注目は、「甲を着た古墳人」。
小札甲(こざねよろい)は、古墳時代の武具で、それを装着したままの人骨が火山灰に埋もれたなかから出土したのです。
これまで、火山の噴火の火砕流などの犠牲になった古墳時代の人が発見されたことはなく、考古学上も重大な発見となりました。
榛名山の方を向いて、前のめりになって倒れていた姿からは、火山の鎮静を願っていたとも推測できます。
着用していた小札甲は、千数百枚もの小さな鉄板をつなぎ合わせてつくられた当時の最新型防具(5世紀後半から利用された防具)。
頭蓋骨の復元などから40歳代の、朝鮮半島からの帰化人とも推測できる男性ということも判明し、身分の高い人だけが着用していた小札甲ということから、一帯を支配した帰化人のリーダーと目されています。
金井東裏遺跡からは、韓国の夢村土城(ムソンドジョウ・モンチョントソン)遺跡で出土したものに似た鹿角製小札(鹿角製小札を用いた甲の付属具である胸当てまたは脇当て)も発掘されていることから(日本初の発見)、朝鮮半島との深い関係性も明らかになっています。
これまで「日本のポンペイ」としては群馬県嬬恋村の鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)が有名でしたが、これは、記録に残る天明3年(1783年)の浅間山大噴火の痕跡(つまりは近世の災害と遺構)。
ホンモノのポンペイは、西暦79年、ヴェスヴィオ火山の大噴火によるもので、まさに古代の出来事です。
同じ金井遺跡群で、金井東裏遺跡の南400mほどにある金井下新田遺跡からは、6世紀初頭の榛名山噴火による堆積物の下から、5世紀後半の鍛冶遺構、土器集積遺構、囲い状遺構などが発見されています。
金井東裏遺跡 | |
名称 | 金井東裏遺跡/かないひがしうらいせき |
所在地 | 群馬県渋川市金井1837 |
関連HP | 渋川市公式ホームページ |
ドライブで | 関越自動車道渋川伊香保ICから約3km |
問い合わせ | 渋川市文化財保護課 TEL:0279-52-2102/FAX:0279-52-4008 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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