日本最初の公立公園は、明治6年1月15日付の太政官布告第16号で誕生した都市公園です。公園という名前が初めて使われた公文書で、これが日本における都市公園の始まりです。東京市にも浅草、上野、芝、深川、飛鳥山の5ヶ所が誕生しましたが、大阪府でも堺町に浜寺公園が開設されています。
大久保利通の視察で松林が保存され、公園に

明治維新から明治4年まで堺町の堺奉行所跡には堺県庁が置かれ、明治5年、国内2番目となる官営模範工場の堺紡績所設置するなど、発展していました。
阪堺鉄道(現・南海電鉄)が延伸して吾妻橋駅(現・堺駅)が開業するのは明治21年のことなので、浜寺公園はいかに早い都市公園だったかがよくわかります。
開園した頃は、一帯は防潮を目的に植栽された見事な松林が広がる海岸で、もともとは江戸時代中期の宝永年間(1704年〜1711年)に植えられたもの。
明治6年夏に五代友厚に案内され、視察に訪れた大久保利通は、往時の松林が伐採で減少(土地は明治維新後に禄を失った士族のために民間に払い下げられていました)、さらに住宅地として開発しようとしていることを危惧し、「音に聞く 高師の浜のはま松も 世のあだ波は のがれざりけり」と伐採反対の歌を作り、伐採停止が通達されています。
浜寺公園が誕生したのはその年の12月で、今も残る見事な松5500本のルーツは、大久保利通によって守られたもの。
太政官布告第16号では、公園の条件として「国有地であること」、「群衆遊観の地であること」の2つを満たすことになっていたため、東京市では浅草、上野、芝、深川と神仏分離・廃仏毀釈で寺地を取り上げた浅草寺、寛永寺、芝増上寺、永代寺(深川八幡宮の別当)と飛鳥山を除く4ヶ所は、いずれも旧寺地を公園化しています。
大阪府でも住吉公園は、神仏分離、廃仏毀釈後に住吉大社の馬場などを公園化したものです。
浜寺公園は寺地などだったほかとは異なり、白砂青松の景勝地、高師浜の名松を守るため、大久保利通が松の保存を訴えたことで、住宅地となるのを回避し、住吉公園とともに大阪府最初の公立公園として誕生したのです。
当初は交通不便により、利用者は少なく、人影もありませんでしたが、明治30年に南海鉄道が佐野駅(現・泉佐野駅)まで延伸、浜寺に停車場が設置され、利用者が急増しています。
明治40年、東京駅と同じ辰野金吾の設計による駅舎が誕生、新駅舎の誕生後も保存され、ステーション・ギャラリー、カフェとして使われています。
山間の箕面公園、海浜の浜寺公園は山と海の行楽地の代表格で、夏には海水浴も人気でした。
昭和37年ころから海岸部の埋め立てが進み、公園用地が拡大しますが、海水浴場が閉鎖されたことで、昭和38年には「東洋一」のプール群も誕生しています。

「日本最古の公立公園」のひとつが堺市に! | |
名称 | 浜寺公園/はまでらこうえん |
所在地 | 大阪府堺市西区浜寺公園町 |
関連HP | 大阪府公園協会公式ホームページ |
電車・バスで | 南海本線浜寺公園駅すぐ、JR東羽衣駅から5分 |
ドライブで | 阪神高速道路4号湾岸線浜寺出口からすぐ |
駐車場 | 第1~5駐車場(960台/有料) |
問い合わせ | 浜寺公園管理事務所 TEL:072-261-0936/FAX:072-261-2263 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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