兵庫県神戸市北区有馬町、有馬温泉の中心、極楽寺の横に築かれた豊臣秀吉(太閤)が入浴した湯殿の遺構を保存展示する施設が神戸市立太閤の湯殿館。極楽寺書庫の建て替え工事の際に、偶然発見された遺構は、なんと豊臣秀吉が有馬の湯を楽しむために築いた湯山御殿(ゆのやまごてん)の一部だと判明したのです。
豊臣秀吉が建築を命じた湯山御殿の遺構を保存
平成7年に起こった阪神・淡路大震災からの復興のために極楽寺の書庫の建て替えを行なおうとしたところ、その場所から安土桃山時代の遺構が出土(発見されたのは偶然にも豊臣秀吉400回忌の年)。
調査の結果、豊臣秀吉の命で築かれた湯山御殿(ゆのやまごてん)の一部と見られる「湯ぶね庭園」(帯曲輪や庭園、湯屋)の跡と判明。
神戸市立太閤の湯殿館の館内には、当時のサウナ風呂である半地下式の「蒸し風呂」(竹製パイプで温泉の蒸気を床下から取り入れる構造)、温泉入浴の「岩風呂」(当時は浴衣や湯浴み着のようなものを着て入浴しました)の遺構をそのまま取り込んで展示してあるほか、茶器や瓦などの出土品、豊臣秀吉と有馬温泉の関わりを示す資料などが展示されています。
豊臣秀吉は、羽柴秀吉時代の中国攻めの際、天正7年(1579年)に有馬温泉一帯を領有。
秀吉自身もその後、有馬の湯につかり、茶会を催すなど有馬の復興に尽力しています(文書に記録されているだけで、秀吉は9回も湯治に訪れています)。
豊臣秀吉は有馬を訪れる際には天神源泉近くにあった阿弥陀堂を利用していましたが、文禄3年(1594年)、湯治施設として湯山御殿の建設に着工。
御殿を建設するにあたって、65軒の家屋を強制撤去していることからも、その壮大さがよくわかります。
湯山御殿は、慶長元年(1596年)の伏見大地震によって倒壊後、慶長3年(1598年)に再建されていますが(御殿の再建中に「奥の院」に新湯が湧出、その場所に新たな御殿の建築を命じています)、徳川の治世下では徳川家と関わりが深い極楽寺、念仏寺の境内に取り込まれています。
豊臣秀吉はこの湯山御殿の再建中、慶長3年(1598年)、伏見城で没しているので、再建された湯殿には入浴していません(秀吉は再建途中に病に倒れ、発掘された岩風呂には入浴できませんでした)。
湯山御殿跡で発掘された瓦と大坂城から出土した軒丸瓦が同じ鋳型で造られていることも判明、豊臣時代の遺構である証しにもなっています。
庭園や風呂跡の山側には、秀吉の頃に築かれた野面積(のづらづみ)の石垣が当時のまま残されているので、こちらもお見逃しなく。
画像協力/一般財団法人 神戸観光局
神戸市立太閤の湯殿館 | |
名称 | 神戸市立太閤の湯殿館/こうべしりつたいこうのゆどのかん |
所在地 | 兵庫県神戸市北区有馬町1642 |
関連HP | 有馬温泉観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 神戸電鉄有馬温泉駅から徒歩10分、または六甲・有馬ロープウェー有馬駅から徒歩10分 |
ドライブで | 阪神高速道路北神戸線有馬口ICから約3km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 神戸市立太閤の湯殿館 TEL:078-904-4304/FAX:078-904-4304 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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