兵庫県姫路市飾磨区妻鹿にあるのが黒田職隆廟所(くろだもとたかびょうしょ)。黒田官兵衛の父・黒田職隆は天正13年(1585年)、国府山城(妻鹿城、功山城)で没。国府山城南方の住宅地の一角に黒田職隆の廟所があり、地元では「筑前さん」と親しまれています。
黒田官兵衛の父・黒田職隆の廟
南北15m、東西12mの規模で、中央に正面1間、側面1間、宝形造り、銅板葺の廟屋があり、そのなかに大型の五輪塔1基(五輪高1.78m)が配されています。
戦国時代に築かれた角礫質凝灰岩製の五輪塔は風化が激しく、文字も消えつつありますが、正面に「天 十三 梵字の「ア」 満誉」と刻まれ、左側面にははっきりと「黒田」の文字があるので、黒田職隆の廟であることはまちがいありません。
江戸時代編纂の『播磨古事』によれば、天明3年(1783年)10月、姫路城下の心光寺住職・入誉が墓所発見を福岡藩に報告。
福岡藩役人が現地を調査の上、天明4年(1784年)10月に廟屋をかけ廟所整備を行なったと記されていますから、高さ1.5mの花崗岩製の玉垣などはこの時の福岡藩による整備と推測できます。
平成17年以降、黒田職隆廟所で黒田家と親交の深い心光寺住職を招いて墓前祭をが営まれています。
黒田職隆が、晩年の天正元年(1573年)に姫路城から移って在城したという国府山城(妻鹿城、功山城)は廟所の北800m、甲山の山上に築かれています。
羽柴秀吉の三木城攻略の際には、黒田官兵衛は秀吉に姫路城を譲り、国府山城(妻鹿城、功山城)に入城しているので、一帯は黒田家ゆかりの地ということに。
黒田職隆廟所 | |
名称 | 黒田職隆廟所/くろだもとたかびょうしょ |
所在地 | 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿元宮372-1 |
関連HP | 姫路市公式ホームページ |
電車・バスで | 山陽電鉄妻鹿駅から徒歩5分 |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 姫路市教育委員会事務局生涯学習部文化財課 TEL:079-221-2786/FAX: 079-221-2779 |
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