兵庫県揖保郡太子町鵤(いかる)にある天台宗の古刹が斑鳩寺(いかるがでら)。推古天皇14年(606年)、聖徳太子は推古天皇のために勝鬘経(しょうまんぎょう)を講讃。天皇は大いに喜ばれ播磨国に水田百町を与えたのが斑鳩荘(鵤荘)の始まりで、平安時代に斑鳩寺が創建されたとされる古刹です。
法隆寺の荘園に創建された太子信仰の寺
『日本書紀』には、推古14年(606年)7月に寄進したと記され、水田の規模は100町、『聖徳太子伝記』では、太子44歳御時、360町とあり、史実だと推測できます。
平安時代には、法隆寺の荘園、法隆寺領播磨国鵤荘(いかるがのしょう)に。
荘園経営の中核的存在として、政所とともに斑鳩寺が創建され、斑鳩寺という寺号は、法隆寺(斑鳩寺)の子院だったからと推測できます。
創建以降、七堂伽藍の甍を並べ、太子信仰の中心としても栄えてきました。
天文10年(1541年)の火災で伽藍は焼失、龍野城主・赤松正秀(あかまつまさひで)らの支援で復興していますが、復興の際に聖徳宗(法隆寺支院)から天台宗に改宗したのだとか。
仁王門、明和6年(1769年)修築の講堂、聖徳殿(前殿、後殿)、三重塔などのほか、明治・大正時代に法隆寺夢殿を模した奥殿(八角二重円堂)・中殿が増築されています。
現存する三重塔は、永禄8年(1565年)、赤松政秀の建立で国の重要文化財。
2月23・24日の太子忌(聖徳太子の忌日に行なわれる法要)に開帳される釈迦如来坐像、薬師如来坐像、如意輪観音坐像も国の重要文化財です。
斑鳩寺 | |
名称 | 斑鳩寺/いかるがでら |
所在地 | 兵庫県揖保郡太子町鵤709 |
関連HP | 斑鳩寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR網干駅から神姫バス山崎行きで10分、鵤(いかる)下車、徒歩7分 |
ドライブで | 山陽自動車道龍野ICから約4.5km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 斑鳩寺 TEL:079-276-0022/FAX:079-276-3433 |
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