須磨浦公園とその周辺は、源平合戦の一の谷古戦場の跡。公園内には平敦盛(たいらのあつもり)の供養のため建てられたという五輪塔、敦盛塚(神戸市指定有形文化財)もあります。弱冠17歳(『源平盛衰記』では16歳)にして一の谷の合戦に参戦し、熊谷直実に討ち取られています。
平敦盛と熊谷直実の騎乗の一騎打ちで討ち取られた敦盛の胴塚
平敦盛を祀ったものではなく、鎌倉時代の後期になって北条貞時(ほうじょうさだとき)が平家一門を供養するために建立し、「あつめ塚」といわれていたものが「あつもり塚」と呼ばれるように転じたという説もあり、定かでありません。
逃げる平家の公達(敦盛)を熊谷直実が「逃げるとは卑怯」と呼び止め、騎乗の一騎打ちに挑みます。
我が子・直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て首を取ることをためらうというのが『平家物語』の下り。
敦盛を討った直実は、家督を譲り出家して法然(ほうねん)の弟子になり、誕生寺(岡山県久米町)、蓮生寺(藤枝市)、光明寺(長岡京市)など多くの寺を建立しています。
『平家物語』の名場面は、のちに能『敦盛』、幸若舞『敦盛』、歌舞伎『一谷嫩軍記』などの題材となりました。
「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」と織田信長が好んだ舞も幸若舞『敦盛』の一節。
大正時代には、子供の病気の神様として信仰され、敦盛愛用の「青葉の笛」になぞらえて、穴をあけた竹に白紙を巻き、水引きをかけたものを奉納したと伝えられています。
平敦盛の首塚は、須磨寺(兵庫県神戸市須磨区)、淡路島福良湾内のの煙島(兵庫県南あわじ市)にあり、須磨浦公園の五輪塔は胴塚とされています。
須磨浦公園・敦盛塚 | |
名称 | 須磨浦公園・敦盛塚/すまうらこうえん・あつもりづか |
所在地 | 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町4-1-24 |
関連HP | 神戸市公園緑化協会公式ホームページ |
電車・バスで | 山陽電鉄須磨浦公園駅から徒歩5分 |
ドライブで | 阪神高速道路神戸線若宮出口から約3.4km |
駐車場 | 須磨浦公園駐車場(223台/有料) |
問い合わせ | 神戸市公園緑化協会 TEL:078-795-5533 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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