兵庫県神崎郡福崎町、辻川山公園にあるのが柳田國男生家(やなぎだくにおせいか)。民俗学者・柳田國男は、明治8年7月31日、飾磨県神東郡辻川村(現:兵庫県神崎郡福崎町辻川)に生誕。茅葺屋根の生家で、明治17年まで一家で暮らした家が福崎町立柳田國男・松岡家記念館横に移築保存されています。
柳田國男は、福崎町名誉町民第1号
日本の民俗学を樹立した柳田國男の生家は、間口5間、奥行き4間で平屋建てで、土間、3畳間と4畳半の座敷、4畳半の納戸、3畳の台所で「私の家は日本一小さい家だ。じつは、この家の小ささ、という運命から、私の民俗学への志も源を発したといってよいのである」(柳田國男『故郷七十年』)と語っています。
『遠野物語』、『後狩詞記』で知られる柳田國男の生家である松岡家は、代々医と学問の家で、柳田國男の祖母・松岡小鶴も医を業とし、早くから儒学を志し、地方の子弟の教育に尽くしています。
柳田國男の父、松岡操(まつおかみさお)も医者で、儒学や国文学にも造形深く、後に姫路で町塾熊川舎の師範にもなるという学識者の家系。
松岡5兄弟・長男の松岡鼎(まつおかかなえ)は、東京帝国大学医科大学別科で学び、医師となって千葉県南相馬郡布佐町(現千葉県我孫子市布佐)に居を構え、明治20年、幼い柳田國男(12歳)ら弟たちを呼び寄せ、支え続けたのです。
明治26年、兄・松岡鼎の転居に伴い、千葉県南相馬郡布佐町(現・我孫子市)に移住し、明治34年5月、柳田家の養嗣子として入籍し、松岡國男から、柳田國男に。
柳田國男生家 | |
名称 | 柳田國男生家/やなぎなくにおせいか |
所在地 | 兵庫県神崎郡福崎町西田原1038-12 |
関連HP | 福崎町公式ホームページ |
電車・バスで | JR福崎駅駅から徒歩25分、または、タクシーで8分 |
ドライブで | 中国自動車道福崎ICから約2km |
駐車場 | 辻川界隈駐車場(40台/無料)を利用 |
問い合わせ | 柳田國男生家 TEL:0790-22-1000 |
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