兵庫県養父市(やぶし)、昭和62年に閉山した明延鉱山(あけのべこうざん)と6kmほど離れた神子畑選鉱場を結んだ明神電車を再現したのが、一円電車明延線。蓄電池機関車で客車くろがね号(実際に明延鉱山使われたもの)を牽引していますが、経済産業省の近代化産業遺産にも認定されています。
蓄電池機関車が客車くろがね号を牽引
大同4年(809年)に開坑し、奈良の大仏を作るために銅を献上したと伝わる歴史ある鉱山が、明延鉱山。
豊臣秀吉の時代には銀を産出して明延銀山、江戸時代には明延銅山と呼ばれ、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、生野奉行・間宮直元は鉱夫を引き連れ、大坂城へのトンネルを掘削しています。
明治5年に官営の鉱山となり、明治29年三菱合資会社の経営となり、錫(すず)が発見されたことで、「日本一の錫鉱山」へと発展。
昭和4年、全長3937mの明神隧道(第3隧道)が貫通し、明延の出合地区と神子畑が鉄道でつながって、電気機関車が牽引する貨物による鉱石搬出が始まりました。
戦後は客車も運転され、鉱山町の貴重な交通機関として活用されたのです。
昭和30年代(錫の産出量は国内第1位)には1200戸、4000人が暮らす鉱山町となったのです。
高度成長を支える鉱山に発展しましたが、その後、円高によって安い鉱物が外国から輸入され、昭和60年11月、明延鉱山の合理化のため、一円電車の運行は終了。
昭和62年3月に明延銀山も閉山となっています。
昭和60年までの33年間、料金1円で人々を運んだことから、一円電車と通称されていました。
平成22年10月、明延振興館前に全長70mながら一円電車の線路「一円電車明延線」が復活し、蓄電池機関車で客車くろがね号を牽引。
客車くろがね号は、明延鉱山で最後まで使われた本物の一円電車です。
軌間は、当初500mmでしたが、昭和16年に762mm(ナローゲージ)に拡張され、一円電車明延線もナローゲージです。
明神電車と蓄電池機関車、明延鉱山探検坑道(旧世谷通洞坑)、明盛共同浴場『第一浴場』建屋は、「我が国鉱業近代化のモデルとなった生野鉱山などにおける鉱業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。
一円電車明延線 | |
名称 | 一円電車明延線/いちえんでんしゃあけのべせん |
所在地 | 兵庫県養父市大屋町明延 |
関連HP | 養父市公式ホームページ |
電車・バスで | JR八鹿駅から全但バス自然学校前行きで1時間4分、明延下車、徒歩1分 |
ドライブで | 北近畿豊岡自動車道養父ICから約20km。中国自動車道山崎ICから約42km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 養父市商工観光課 TEL:079-664-0285/FAX:079-664-2528 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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