日本最長のケーブルカーは、比叡山への参詣者を運ぶため、昭和2年3月15日に坂本駅(現・ケーブル坂本駅)〜叡山中堂駅(現・ケーブル延暦寺駅)を開業した比叡山鉄道です。明治時代後半〜昭和初期は、全国の私鉄に「参詣鉄道」開業の気運が高まった時代ですが、比叡山鉄道の比叡山坂本ケーブルもそのひとつ。
ほうらい丘駅、もたて山駅という途中駅も

比叡山山上の延暦寺へは、当時、山麓の里坊・坂本から表参道(本坂)、あるいは無動寺道を登るしかありませんでした。
表参道(本坂)を使って2時間、無動寺道だと2時間半ほどの登山が必要で(現在、表参道は少し荒廃しています)、参詣の足を目的に大正13年10月23日に比叡登山鉄道が設立(昭和元年に比叡山鉄道に改称)、ケーブルカーが敷設されたのです。
背景には、明治維新後の神仏分離、廃仏毀釈による仏教寺院の衰退があり、明治8年の上知令で社寺の経済的基盤となっていた境内地の多くが没収され、堂塔の修繕すらままらならない状況に陥っていました。
延暦寺では、境内地の返還運動を展開し、明治41年までに9割ほどの寺地が返還されましたが、四明ヶ嶽周辺は戻らないままになっています。
大正10年は、最澄入滅後1100年にあたり、延暦寺でも1100年忌を大々的に執り行ない、世間から忘却されることなく、信者の獲得に尽力していました。
信者だけでなく、一般参詣者へも精力的にPRを行ないましたが、山上にあることから、簡単に参詣することはできません。
こうした寺側の窮状と、私鉄による霊山への開発という思惑が一致し、全国の霊山にケーブルカーが敷設されるようになりますが、鉄道会社によって比叡山も行楽・遊覧の対象と位置づけられ、京都側(京都電燈翼下の叡山電気鉄道)、坂本側(滋賀県側)の両方から開発が進んだのです。
大正14年には叡山電気鉄道が四明ヶ嶽駅までケーブルカーを敷設、開業後1年目には1ヶ月で24万人を運ぶという盛況ぶりをみせたのです。
こうした京都側の盛況を背景に、坂本側でも建設が進み、昭和2年3月15日に全長2.0kmという長大なケーブルカーが誕生したのです。
全国一短いケーブルカー路線は、鞍馬山に架かる鞍馬山鋼索鉄道で、191m(0.2km)しかありません(鞍馬寺が敷設した寺経営の鉄道で、昭和32年1月1日に開業)。
鞍馬山鋼索鉄道の10倍もの長さを誇る比叡山鉄道は、現在、京阪ホールディングスの系列。
ほうらい丘駅、もたて山駅という途中駅もあり、区間運賃も設定されていますが、あらかじめ下車することを申告しておかなければ、通常は通過してしまいます。
ちなみに、ケーブル延暦寺駅、ケーブル坂本駅の両駅舎は開業時のもので、国の登録有形文化財に指定されています。

日本最長のケーブルカー、途中には2つの駅も! | |
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