福山城本丸に現存する三層三階の隅櫓。元和8年(1622年)、水野勝成による福山城築城に際して、2代将軍・徳川秀忠の命により伏見城・松の丸東櫓から移築した櫓のため、伏見櫓の名があります。今も往時と変わらぬ姿を留めています。城郭建築史上、初期の様式を残す貴重な建物で、国の重要文化財に指定されています。
徳川秀忠の命で伏見城から移築した櫓
昭和29年の解体修理の際、2階の梁に「松ノ丸ノ東やくら」という伏見城からの移築を表す陰刻(刻印)が発見され、さらには寛永16年(1639年)付の水野勝成の記述もあるので、伏見櫓に伝わる伝承が真実であることが裏付けられています。
ただし、慶長2年(1597年)、豊臣秀吉が築いた当初の伏見城ではなく(当初の建物は関が原の戦いで西軍に攻められて焼失=京の寺に血天井として一部の板が残ります)、慶長7年(1602年)、徳川家康が再建し、元和5年(1619年)に廃城となった伏見城松の丸からの移築です。
伏見城の天守は二条城に、また多くの建物が福山城や伏見の淀城に移築されています。
外様大名の福島正則に代わり、備後10万石の藩主として入城した水野勝成。
徳川家康の従兄弟(いとこ)であることから、わざわざ伏見城から櫓を移築したのだと推測できます。
城内側に窓がほとんどないのは、城主の居館である本丸御殿を見おろすことがないようにとの配慮から。
内部は非公開ですが、11月3日の文化の日のみ、特別に公開されています(公開される時間が限られています)。
本丸にそびえる伏見櫓
伏見櫓を望む、ベストショットポイントは、実は山陽新幹線福山駅の上りホーム。
新幹線で福山に来た際には、新幹線を降りたなら、まずはホームから伏見櫓の見学を。
ちなみに新幹線、山陽本線は二の丸と三の丸の間にあった堀を埋め立てて場所に通っているのです。
幕末に福山藩(譜代大名)は長州征討に参加。
その後、福山城が長州藩の攻撃を受けた際には恭順の意を示し、以降は新政府軍となって箱館戦争などに参加していますが、明治維新後も幕府方の譜代大名という肩書は拭えず、山陽本線が城内を横切ることに。
徳川幕府の威光で伏見城から移築した伏見櫓を、幕府勢力ということで鉄道が敷かれた城内(新幹線ホーム)から眺めるというのも歴史の皮肉です。
ちなみに福山駅南口には、瀬戸内海と水路で結ばれる舟入の遺構も発見されています。
福山城・伏見櫓 | |
名称 | 福山城・伏見櫓/ふくやまじょう・ふしみやぐら |
所在地 | 広島県福山市丸之内1-8 |
関連HP | 福山城博物館公式ホームページ |
電車・バスで | JR福山駅北口から徒歩5分 |
ドライブで | 山陽自動車道福山東ICから約6.8km |
駐車場 | ふくやま美術館・広島県立歴史博物館駐車場(40台/有料)、ふくやま文学館駐車場(30台/有料) |
問い合わせ | 福山城博物館 TEL:084-922-2117/FAX:084-922-2126 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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