御手洗・千砂子波止

御手洗・千砂子波止

広島県呉市、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島のレトロな港町、御手洗(みたらい)。広島藩が文政12年(1829年)に築いた全長90mという、当時「西国無双之湊」と称された御手洗を象徴するかのような大規模な防波堤が、千砂子波止(ちさごはと)です。

広島藩が江戸時代後期に築いた波止の跡

御手洗・千砂子波止

御手洗(みたらい)は江戸時代中期には瀬戸内有数の港として隆盛を極めましたが、次第に他の港町にその地位を脅かされるようになり、手狭になった港湾機能を拡大強化するため、文政11年(1828年)~文政12年(1829年)にかけて築かれた波止場が、千砂子波止(ちさごはと)。

もともとは暗礁があり、船が座礁する原因ともなっていた南端の千砂子磯に、新たな波止が築造されたのです。
海底の石積み部分を切石で固めて土台とし、そのうえに切石で牛蒡積み(ごぼうづみ=ゴボウのように奥に長い石を積み上げる石垣)にした外壁を築き、内部に割石を詰め込んだうえで、さらに表面を切石で覆っています。
しかも関前灘に面する側へは、上部に波返しを設けるという対策も。

広島藩の許可を受けたこの大規模な港の拡張工事によって、一説には300艘もの船が停泊可能になったとも。

平成3年に町を襲った台風の影響で、この波止の一部が崩落していますが、現在は復元され往時の姿を取り戻しています。
波止の先端部分には高灯籠を模した白い灯台が建ち、波止の付け根の部分には、江戸時代に港の繁栄を願って彫られた鶴と亀、中央付近にヒョウタンが刻まれています。
さらに係船のための舫綱(もやいづな)をかけるための番号の彫られた石の舫柱が、等間隔に設置されているので、お見逃しなく。

この波止の鎮守として寄進されたのが、現在もその姿を留める住吉神社。
大坂の豪商・鴻池善右衛門(こうのいけぜんえもん=天保の大飢饉で貧民に義援金を施しながら、大塩平八郎の乱では焼討を受けた9代目)の寄進によるもので、広島藩の御用商人も務めていた縁から。
この神社は、住吉大社と同じ形式の住吉造りを忠実に再現したもので、社殿だけでなく、瑞垣や門などもすべて住吉大社を縮小したスケールで造られているのだとか。
鴻池一族以外にも、御手洗ゆかりの有力商人や地元の遊女らが寄進した鳥居や狛犬なども残されています。

一帯は呉市豊町御手洗伝統的建造物保存地区に選定。

御手洗・千砂子波止
名称 御手洗・千砂子波止/みたらい・ちさごはと
所在地 広島県呉市豊町御手洗
関連HP 呉市公式ホームページ
電車・バスで JR呉駅、または広駅からとびしまライナー豊・豊浜方面行きバスで、御手洗港(みたらいこう)下車
ドライブで 広島呉道路呉ICから約40km
駐車場 御手洗かもの駐車場(40台/無料)
問い合わせ 呉市豊市民センター TEL:0823-66-2131/FAX:0823-66-3900
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
御手洗・高灯籠

御手洗・高灯籠

広島県呉市、瀬戸内海に浮かぶ大崎下島のレトロな港町、御手洗(みたらい)。広島藩が文政12年(1829年)に築いた千砂子波止(ちさごはと)の付け根にあるのが、高灯籠(たかとうろう)。千砂子波止の鎮守として寄進された住吉神社の参道を渡す石の太鼓

 

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