広島県呉市豊町御手洗(みたらい)、大崎下島の東岸の港町、御手洗地区の重要伝統的建造物群保存地区の選定にあわせて、古い町並み来島海峡、瀬戸内しまなみ海道の来島大橋、岡村島、遠く四国の山々を見渡す高台に設けられた公園が、歴史の見える丘公園。遊歩道周辺はミカン畑という瀬戸内らしい環境です。
瀬戸内海舟運の歴史を凝縮した御手洗を眼下に
豊町御手洗重要伝統的建造物群保存地区の背後の高台に位置する歴史の見える丘公園ですが、公園まで車道が通じているので手軽に眺望を楽しめ、ベンチも置かれているのでゆっくりと景観を楽しむことができます。
御手洗の重要伝統的建造物群保存地区から遊歩道を利用すれば片道30分ほどの道のり。
御手洗は、神功皇后が、三韓遠征の際、手を洗ったという伝承の残る地。
昌泰4年(901年)、昌泰の変(しょうたいのへん)で、菅原道真が大宰府に左遷される時、御手洗の湊で風待ち、潮待ちを行ない、口をすすぎ手を洗ったとも伝えられています(天満神社の「菅公御手洗いの井戸」として現存)。
北前船の廻船、瀬戸内海舟運が発達した江戸時代には、天然の良港として繁栄。
「若胡子屋」など4軒の「御茶屋」が置かれ、花街としての賑わいもありました。
また、幕末には三条実美ら5人の公家が幕府派の追っ手から逃れるため、長州に落ち延びる途中に寄り道した七卿落遺跡の「庄屋竹原屋」も現存しています。
石積みの波止場としては日本一の遺構ともいわれる千砂子波止など、神話の時代から明治維新を経て現在に至る、そんな港町の歴史を俯瞰的に眺められる公園が、歴史の見える丘公園というわけなのです。
ちなみに、呉市街にも昭和57年に設置された明治以降の呉の歴史が一望できる歴史の見える丘があるのでご注意を。
歴史の見える丘公園 | |
名称 | 歴史の見える丘公園/れきしのみえるおかこうえん |
所在地 | 広島県呉市豊町御手洗 |
関連HP | 呉市公式ホームページ |
ドライブで | 広島呉道路呉ICから約41km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 豊町観光協会 TEL:0823-67-2278 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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