奈良時代、聖武天皇の詔で全国66ヶ国に1ヶ寺ずつ設置された国分寺(金光明四天王護国寺)のひとつ備後国分寺の後継寺院で広島県福山市にあります。奈良時代創建の備後国分寺は、戦国時代には衰退し、天文7年(1538年)の神辺の合戦で堂宇は焼失しています。天文19年(1550年)に薬師如来を本尊として再建され、翌年には毛利元就も参詣。
備後国に建てられた国分寺の後継寺院
創建当時の南大門は、古代の山陽道に面して建てられ、門をくぐった左側に金堂、右に七重塔、その北側に講堂という法起寺式で伽藍が配置されていました。
昭和47年からの発掘調査で講堂、金堂、塔の跡が発見されています。
江戸時代初期に土石流で壊滅となっていますが、後に備後福山藩第4代藩主・水野勝種(みずのかつたね)の後ろ盾により再興。
ちなみに備後国は、7世紀後半に、吉備国を備前国(後に美作国も再分割)、備中国、備後国に3分して設けられています。
国府は、広島県府中市元町付近にあったとされていますが、その遺構は未発見で定かでありません。
国分尼寺(法華滅罪之寺)も福山市神辺町湯野あたりにあったと推測されています。
備後国分寺 | |
名称 | 備後国分寺/びんごこくぶんじ |
所在地 | 広島県福山市神辺町下御領1454 |
電車・バスで | 井原鉄道御領駅から徒歩10分 |
ドライブで | 山陽自動車道福山東ICから約8.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 備後国分寺 TEL:084-966-2384 |
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