柳生八坂神社

柳生八坂神社

奈良県奈良市柳生町、旧柳生藩陣屋跡のすぐ西側にあるのが、柳生八坂神社(やぎゅうやさかじんじゃ)。もとは四之宮大明神と呼ばれていましたが、承応3年(1654年)、柳生宗冬(やぎゅうむねふゆ=柳生宗矩の子)が大保町の八坂神社(尾羽根の八坂神社)の分霊を勧請し、名を八坂神社と改めたもの。

柳生にある柳生宗冬ゆかりの神社

柳生八坂神社

往時に四之宮大明神と称したのは、 長暦2年(1038年)、一帯の神戸四ヶ郷(大柳生、阪原、邑地、小柳生)が春日大社の神領となり、第四殿・比売大社(ひめのたいしゃ/本地仏は十一面観音)を祀ったため。
神仏習合の江戸時代は、祇園精舎の守護神である牛頭天王(ごずてんのう=本地仏は薬師如来)を祀るため柳生大保牛頭天王社と称していましたが、当時、疫病退散を願って各地で牛頭天王を祀り、祇園祭(死んだ人の魂に由来する疫病や怨霊を鎮める儀式)が行なわれるようになっています。

明治初年の神仏分離で、京の牛頭天王社(感神院祇園社)が八坂神社となったため、柳生八坂神社と称するようになりました。

柳生宗冬も新陰流の剣豪で、明暦2年(1656年)、4代将軍・徳川家綱の剣術指南(将軍家兵法指南役)にもなっています。

境内にある拝殿は天乃石立神社の能舞台を移築したもの。
柳生八坂神社と旧柳生陣屋跡の間を通る道が旧柳生街道で、柳生十兵衛が開いた剣道場で有名な旧柳生街道の正木坂、坂上にあるのが柳生八坂神社です。

柳生八坂神社
名称 柳生八坂神社/やぎゅうやさかじんじゃ
所在地 奈良県奈良市柳生町
関連HP 奈良市観光協会公式ホームページ
ドライブで 名阪国道針ICから約16km
駐車場 柳生観光駐車場(50台/有料)
問い合わせ 柳生観光協会 TEL:0742-94-0002
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
旧柳生藩陣屋跡

旧柳生藩陣屋跡

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芳徳寺

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