コンクリート船「武智丸」(沈船防波堤)

コンクリート船「武智丸」

広島県呉市安浦町の安浦漁港(三津口)沖にある防波堤が、コンクリート船「武智丸」(沈船防波堤)。第二次世界大戦の最中、帝国海軍所属の貨物船として建造された2隻のコンクリート船、「第一武智丸」、「第二武智丸」を終戦後に防波堤に転用したもの。

コンクリート貨物船2隻を沈めて防波堤に転用

コンクリート船「武智丸」

第二次世界大戦後、安浦漁港には満足な防波堤がなかったため、昭和20年9月の枕崎台風など、台風のたびに漁船には大きな被害が生まれていました。
そこで着目されたのが、2隻のコンクリート船の転用で、昭和25年、船体底部に穴を開け、満潮時に沈設。
漁港の駐車場から「第二武智丸」の先に設置された防波堤端の標識灯(灯台)まで歩いて見学が可能。

「第一武智丸」、「第二武智丸」は、太平洋戦争末期に輸送船として兵庫県印南郡曽根町(現・兵庫県高砂市曽根町)の塩田跡に築かれた武智造船所で建造された鉄筋コンクリート貨物船。
EC型戦時標準船と呼ばれるもので、大戦末期の鉄鋼などの資材不足を補うために、鉄筋コンクリート造りにしたもの。
800tで、航海速力7ノットというのが設計上の想定で、「第一武智丸」は、昭和19年8月に竣工、さらに4隻が建造され「第五武智丸」は完成後の艤装完了したところで終戦となっています。
就航後には、瀬戸内海で若松、呉、大阪間の石炭、食糧輸送に従事しています。

「第三武智丸」は、昭和20年7月10日、小豆島沖で触雷して沈没。
「第四武智丸」は終戦後の昭和20年9月17日に神戸沖で台風で座礁し、廃船になっています。

沈船を使った防波堤では、北九州港(北九州市若松区響町)の軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)が有名なほか、小名浜港(福島県いわき市)では駆逐艦「沢風」、駆逐艦「汐風」の船体が防波堤(沈船防波堤)に転用されています(小名浜港は、東日本大震災の復興後、判別できなくなっています)。
また同じ呉市では音戸町の坪井漁港にコンクリート製被曳航油槽船が防波堤に転用されていますが、かなり劣化し、見学には注意が必要です。

コンクリート船「武智丸」(沈船防波堤)
名称 コンクリート船「武智丸」(沈船防波堤)/こんくりーとせん「たけちまる」(ちんせんぼうはてい)
所在地 広島県呉市安浦町三津口2-1-2329
ドライブで 広島呉道路(クレアライン)呉ICから約24km
問い合わせ 呉市安浦市民センター TEL:0823-84-2261
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)

軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)

北九州港(北九州市若松区響町)にある一風変わった歴史を有する防波堤。太平洋戦争終結後、帝国海軍の艦船は戦時賠償として連合国に引き渡されたり、解体されたりしましたが、一部は船体そのものを防波堤の一部として再生しています。それが軍艦防波堤(響灘

 

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