広島県広島市中区大手町1丁目、平和記念公園の原爆ドーム緑地帯にあるのが、旧相生橋碑。相生橋は、昭和7年にT字の形に架けられた全国でも珍しい橋で、上空からも視認しやすいこと、広島の繁華街だったこともあって、原爆投下の目標地点とされたのです。
原爆の投下目標となったのがT字型の相生橋
1945年5月10日・11日、第2回目標選定委員会がロスアラモスのオッペンハイマー博士の執務室で行なわれ、京都市(AA級目標)、広島市(AA級目標)、横浜市(A級目標)、小倉市(A級目標)が決定。
工業地帯や軍事都市ということではなく、まさに影響の大きな都市に、市民を巻き込む無差別的な攻撃だったことがよくわかります。
1945年7月25日、マンハッタン計画を指揮したレズリー・リチャード・グローヴス(Leslie Richard Groves Jr.)が作成した原爆投下指令書が発令され、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかの都市に目視爆撃可能な天候の日に「特殊爆弾」を投下することが決定。
8月2日、第20航空軍司令部が8月6日に原子爆弾の投下を決め、第1目標は「広島市中心部と工業地域」、投下目標は相生橋に定めたのです(ウラニウム型原子爆弾リトルボーイを投下)。
昭和7に架橋された相生橋は、昭和9年、橋の中央部分から慈仙の鼻(じせんじのはな=現在の平和記念公園北端部)へ橋桁を伸ばして、全国でも珍しいユニークなT字型となっていました。
相生橋は原爆の爆風で橋桁は変形し、北側の高欄は川に落ち、歩道の一部が持ち上がるほどの被害を受けました。
それでも崩落せず、戦後も修築して使い続けられましたが、昭和58年10月に現在の橋に掛け替えられています。
原爆ドームに近い、原爆ドーム緑地帯に相生橋の親柱、そして旧相生橋碑が立っています。
また、爆風のため変形した橋げたの一部は、広島平和記念資料館に展示。
実際の爆心地は、相生橋ではなく、300mほどズレた島病院上空です。
旧相生橋碑(原爆投下の目標地点) | |
名称 | 旧相生橋碑(原爆投下の目標地点)/きゅうあいおいばしひ(げんばくとうかのもくひょうちてん) |
所在地 | 広島県広島市中区大手町1-10 平和記念公園 |
電車・バスで | 広島電鉄本線原爆ドーム前駅から徒歩3分 |
ドライブで | 山陽自動車道広島ICから約9km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場などを利用 |
問い合わせ | 広島市市民局国際平和推進部平和推進課 TEL:082-242-7831/FAX:082-242-7452 |
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