旧中村家住宅

江戸時代に松前藩が交易を認めた湊は、江差、松前、箱館(函館)の3ヶ所。江差以北の産物は、明治3年に北前船が小樽まで延伸されるまで、江差に集中して集まることになり江差の湊には廻船問屋が軒を連ねました。その1軒が旧中村家住宅。近江商人の大橋宇兵衛が建てた建物で国の重要文化財。内部は資料館となって公開されています。

江戸時代末、明治20年代の建築と推定される商家

切妻造りの大きな二階建ての母屋
海側から眺めた階段状に奥行きのある旧中村家

現存する建物は、江戸時代の宝暦年間(1751年~1763年)から海産物の仲買商を営んでいた近江商人・大橋宇兵衛が建てた海産物問屋。
通りに面している入口側が帳場で、3人の手代が座れる珍しい形。
その奥に番頭が座る帳場があり、帳場があるところだけが2階建てになっています。

2階部分は、紫檀、黒檀が配された床の間、砂鉄やアワビの貝殻をまぶした壁など、贅を尽くした書院造。
江差を代表する大店(おおだな)の北前船での繁栄ぶりがよくわかります。

土台は北前船で運ばれた福井の笏谷石(しゃくだにいし)。
母屋は総檜造り(そうひのきづくり)、さらに海側に文庫倉(切妻造妻入りの土蔵造り)、下の倉、ハネ出しと続いています。
下の倉が江戸時代末、主屋と文庫倉が明治20年代の建築と推定されています。
今では敷地の裏側にも道が通っていますが往時は店の裏側まで海が来ていたのです。

日本遺産「江差の五月は江戸にもない~ニシン繁栄が息づく町」に認定

母屋1階部分に切られた囲炉裏(いろり)
贅を尽くした母屋の2階

大正初期に大橋家が江差を引き上げる際、番頭格の中村米吉が譲り受けたため旧中村家と呼んでいますが、廻船問屋として財を築いたのは大橋家。
大橋宇兵衛は、近江国神埼郡八幡村種(現・滋賀県東近江市種町)出身の近江商人。
宝暦年間は平在船(弁財船)が普及した時代で、その頃までは江差の廻船問屋といえば、「売りてよし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の理念と「諸国産物まわし」、さらには薄利多売という商社的な商法で財を築いた近江商人だったのです。

建物は昭和49年に中村家から江差町に寄贈され、昭和57年から3年がかり、1億6000万円をかけて修復し、公開。

下の倉では日本海交易について、ハネダシでは漁具について展示
旧中村家住宅に立ち寄れば、「出船三千、入船三千、江差の五月は江戸にもない」という北前船で賑わった江差の繁栄を学ぶことができます。

江戸時代、米を産することができない松前藩は、米に代わるものとして、鰊(にしん)や、檜(ヒノキ)、翌檜(アスナロ)などの檜材、昆布を輸出する「交易」で経済を成り立たせていましたが、江差沖に横たわる鴎島(かもめじま)が防波堤の役割を果たす江差は、北海道を随一の貿易港として栄えたのです。

その繁栄を今に残す旧中村家住宅を筆頭に、「江差の五月は江戸にもない~ニシン繁栄が息づく町」として日本遺産に登録されています。

ハネダシの展示される漁具
弁財船の模型を展示
旧中村家住宅
「江差の五月は江戸にもない」の繁栄を示す江差屏風(レプリカ)
旧中村家住宅
名称 旧中村家住宅/きゅうなかむらけじゅうたく
所在地 北海道檜山郡江差町中歌町22
関連HP 江差町公式ホームページ
電車・バスで JR江差駅から徒歩20分
ドライブで 函館空港から約80km
駐車場 江差追分会館駐車場(20台/無料)
問い合わせ 旧中村家住宅 TEL:0139-52-1617
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ