国鉄宮原線・幸野川橋梁

国鉄宮原線・幸野川橋梁

熊本県阿蘇郡小国町北里、昭和59年12月1日に廃線になった国鉄宮原線(こくてつみやのはるせん)の橋梁が、幸野川橋梁(こうのがわきょうりょう)。北里駅と終着駅の肥後小国駅の間に位置し、幸野川を渡る充腹式コンクリート造りアーチ橋(昭和12年〜14年頃の築造)で、国の登録有形文化財に指定されています。

骨組みに竹を使用した竹筋コンクリート造り

国鉄宮原線・幸野川橋梁

6連のアーチ橋ですが、4連が径間長20mという大規模アーチで、その両脇に径間長10mのアーチを連続させるという美しいフォルムで、廃線跡というだけでなく、アーチ橋の遺構としても被写体に絶好。

国鉄宮原線は、久大本線恵良駅(大分県玖珠郡九重町)から分岐し、肥後小国駅まで26.6kmの路線。
熊本県内には北里駅、終着駅の肥後小国駅の2駅があり、当初は、菊池、瀬高(福岡県)を経て佐賀とを結ぶ計画でした。
佐賀駅〜瀬高駅間が佐賀線(昭和62年3月28日全線廃止)として、瀬高駅〜南関駅間が東肥鉄道(後の九州肥筑鉄道、昭和13年12月16日全線廃止)として開業しましたが、宮原線を含めてすべて廃線になっています。

宝泉寺駅〜肥後小国駅間(19.3km)の延伸開業は昭和29年3月15日でしたが、工事は戦前に始まっており(菅迫駅〜北里駅間の工事は昭和12年に着手、当初は昭和14年に肥後小国駅まで開業予定)、幸野川橋梁も昭和12年〜14年頃の築造です。

あまり知られていませんが、国鉄宮原線の北里駅〜肥後小国駅間にはアーチ橋やトンネルなどの鉄道遺構群が残されています(宮原線すべてのアーチ橋が国の登録有形文化財に)。
戦時下の鉄不足を反映して、幸野川橋梁のように骨組みに竹を使用したと伝えられる鉄筋ならぬ竹筋(ちっきん)コンクリートという橋梁も。

国鉄宮原線・幸野川橋梁
名称 国鉄宮原線・幸野川橋梁/こくてつみやのはるせん・こうのがわきょうりょう
所在地 熊本県阿蘇郡小国町北里
ドライブで 大分自動車道九重ICから約21km、玖珠ICから約26km
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国鉄宮原線・肥後小国駅跡

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