松前城本丸御門

松前城(福山城)本丸御殿の正門。切妻造り、銅板葺きの櫓門です。1849(嘉永2)年、江戸時代初期の城郭を取り壊し、北方防備を重視して新しい城郭を建設した際の門。石垣は凝灰岩を方形に加工し、隙間なく石をすり合わせて積んだ美しい姿です。幕末の建築当時のままに残され国の重要文化財に指定されています。

幕末の門が現存し、国の重要文化財に

明治8年、開拓使は本丸御門、本丸御殿、天守を残し城郭の施設を解体破却。
天守も昭和24年の当時城跡にあった松前町役場の当直室の失火で焼失しています。

本丸表御殿は昭和57年まで松城小学校として使われ、現在は玄関部分のみ本丸御門近くに保存されています。

松前城本丸御門
名称 松前城本丸御門/まつまえじょうほんまるごもん
所在地 北海道松前郡松前町松城
関連HP 松前町公式ホームページ
電車・バスで JR木古内駅から函館バス松前バスターミナル行きで1時間29分、松城下車、徒歩5分
ドライブで 函館空港から約106km
駐車場 50台/無料(さくらまつり期間は有料)
問い合わせ 松前城・松前城資料館 TEL:0139-42-2216
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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