北海道札幌市南区、南区役所近くのエドウィン・ダン記念公園内に建つのが、エドウィン・ダン記念館。北海道開拓使により招かれたアメリカ人、エドウィン・ダン(Edwin Dun)の記念館で、明治20年築の真駒内種畜産場事務所を移築し、記念館として再生しています。
開拓時代の北海道の農業を指導したダンの足跡を知る
エドウィン・ダン(Edwin Dun)は、開拓使の技術指導者として明治政府が招聘したお雇い外国人のひとりで、明治6年に雇用計画を結び、牛とめん羊を引き連れて来日しています。
当初は東京・麻布の第三官園で暮らし、その後、開拓使が函館近くに開設した七重官園に移り、馬の改良などを手掛けています(七重で日本人女性つると出会い、結婚)。
明治9年、エドウィン・ダンの指導のもとに開拓使真駒内牧牛場が創設され、畜産技術改良のための拠点となりました(開拓使の廃止後、農商務省の所管となり、明治19年、真駒内種畜場に改称)。
本来は、七重官園に続いて、札幌に札幌官園が誕生するはずでしたが、それが突如として札幌農学校になったため、真駒内に新たな官園を開くことになったのです。
明治15年、開拓使の廃止され、北海道庁が設立されたため、エドウィン・ダンも東京に移住しています。
エドウィン・ダン記念館は、真駒内種畜産場の事務所として明治20年に建てられた建物で(農商務省北海道事業管理局が設計)、国の登録有形文化財に指定されています(つまりエドウィン・ダンが東京に引越してからの建物です)。
エドウィン・ダンは、飼養頭数の増加に伴う家畜用の水不足を解消するため、明治12年、真駒内川も水を引き込む全長4kmほどの真駒内用水路を掘削、さらに家畜の肥料粉砕のための水車小屋も建てています。
エドウィン・ダンは、明治17年、駐日アメリカ大使館二等書記官、明治26年には全権公使にまで昇進。
日清戦争では北京在住の公使と協力して和平交渉を行ない、早期終結に貢献し、昭和6年、東京代々木の自宅にて、82歳で没しています。
エドウィン・ダン記念館の館内にはエドウィン・ダンの回想録をもとに一水会会員の一木万寿三画伯が5年ががりで製作した油絵23点や当時の写真パネル、エドウィン・ダンの遺品などが展示されています。
エドウィン・ダン記念館 | |
名称 | エドウィン・ダン記念館/えどうぃん・だんきねんかん |
所在地 | 北海道札幌市南区真駒内泉町1-6 |
関連HP | 札幌市公式ホームページ |
電車・バスで | 札幌市営地下鉄真駒内駅から徒歩10分 |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | エドウィン・ダン記念館 TEL:011-581-5064 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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