彦治民芸(高柴デコ屋敷)

彦治民芸(高柴デコ屋敷)

福島県郡山市にある高柴デコ屋敷は、郷土玩具の三春駒(みはるごま)と三春張子人形の発祥地。発祥地には現在4軒のデコ屋敷(デコ=木彫りの人形)がありますが、木彫りから絵付けまで一貫工程で三春駒を製造するのは茅葺屋根の店を構える彦治民芸のみ。10代目・橋本高宜(はしもとたかよし)さんが伝統を受け継いでいます。

三春駒、三春張子をルーツの工房で購入

彦治民芸(高柴デコ屋敷)

江戸時代には三春藩領高柴村だったため三春駒のことを「高柴木馬(たかしばきんま)」、三春張子のことを「高柴張子」と称していました。
その後、三春駒・三春張子人形と呼ばれるようになったのだとか。
仙台の「木下駒」(きのしたごま)、 八戸の「八幡馬」(やわたうま)と並んで「日本三大駒」(日本三駒)に数えられる三春駒のうち黒駒は子宝・安産・子育てのお守り、白駒は長寿のお守り。

昭和29年(午年/うまどし)、日本で最初の十二支の年賀切手に採用された三春駒は、9代目橋本彦治作のもの。
平成10年、寅年(とらどし)の年賀切手に採用されたのは、息子である橋本高宜さんが作った「腰高とら」。
親子2代で、年賀切手採用という快挙を成し遂げたのです。

三春駒は、1本の朴の木の角材から2頭の三春駒を制作。
仕上がりの寸法に木を切り、馬のかたちに粗く削って成型、鉋(かんな)、鑿(のみ)で馬に仕上げて彩色を施します。

三春張子は江戸時代に伏見人形が伝わったものと推測され、木型を用い、紙を張り付けて完成。

三春駒、赤ベコ、高柴だるま(三春だるま)、十二支張子、七福神の面など手作りの逸品が購入できるほか、予約で三春駒の絵付けも楽しめます。
建物も江戸時代築の茅葺きだ。

三春藩主・秋田輝季が三春を馬産地に変えた!

三春は元来、馬の産地でしたが、経済基盤に乏しかった三春藩は、3代藩主・秋田輝季(あきたてるすえ)が、領内で産した黒鹿毛の七歳馬を4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)へ献上し、参勤の度に名馬を献上することで三春駒をアピール。
秋田輝季の命により、大郡代の中村政徳は、馬場を整備し、駒奉行の桑島彦六に馬の品種改良を命じました。
仙台・南部藩領を巡って良馬を買い付け、地元の馬とかけ合わせ、三春は名馬の産地へと変貌を遂げたのです。
秋田輝季は、馬産に力を注ぎ、それを競売にかけて藩財政を豊かなものにしていきました。
三春駒(みはるごま)とは、もともとは三春で産する馬ということですが、こうした馬産地の文化を背景に、「日本三大駒」(日本三駒)に数えられる郷土玩具も誕生したのです。

この秋田輝季、元禄3年(1690年)、江戸城での登城の際、腹痛を起こしていますが、その際、富山藩2代藩主・前田正甫(まえだまさとし)が藩財政の再建を目的に開発した反魂丹(はんごんたん)を飲ませたところ、腹痛が驚異的に回復したと伝えられ、富山の製薬メーカーは今も「江戸城腹痛事件」として紹介しています(歴史的な裏付けはありません)。

彦治民芸(高柴デコ屋敷
名称 彦治民芸(高柴デコ屋敷)/ひこじみんげい(たかしばでこやしき)
所在地 福島県郡山市西田町高柴舘野80-1
関連HP 彦治民芸公式ホームページ
電車・バスで JR郡山駅から福島交通バス三春清水行きで大平下車、徒歩5分
ドライブで 磐越自動車道郡山東ICから約5.5km
駐車場 5台/無料
問い合わせ 彦治民芸(高柴デコ屋敷) TEL:024-972-2412/FAX:024-972-2314
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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