標津町歴史民俗資料館・開拓の村

ポー川史跡自然公園の公園入口エリア、標津湿原(しべつしつげん)への木道の入口に位置する博物館。伊茶仁カリカリウス遺跡の解説では、オホーツク文化人の末裔にあたる、トビニタイ文化の土器などが興味深い展示となっています。展示されるヒグマ剥製は現存する剥製では最大級のもの。

開拓の村は「標津のミニ大正村」

『開拓の村』に移築された開拓時代の農家
レンガ造りの国後島海底電信基地

標津から斜里へと向かう斜里山道が開通したのが江戸時代の文化年間(1804年〜1818年)。
野付半島には江戸時代、通行屋があり(野付通行屋跡遺跡)、標津にも会津藩の北方警備の陣屋が置かれるなど(野付半島ポンニッタイには会津藩士の墓もあります)、日本と露西亜(帝政ロシア)との国境警備の最前線として緊張感のある幕末を迎えています。

明治時代には人力で道路を開削し、大正時代から本格的な農地の開拓が進みました。

資料館に複製(レプリカ)が展示される『標津番屋屏風』(六曲一双『北海古漁図』/新潟県西厳寺蔵)は、江戸時代末期に会津藩領となった標津を、会津藩の絵師・星暁邨(ほしぎょうそん)が1864(元治元年)に描いた屏風。

越後国太郎代浜(新潟県新潟市北区)出身の南半之助は、会津藩の御用船の船頭を務めましたが、南家に所蔵された屏風が西厳寺に寄進されたものが『標津番屋屏風』です。

資料館に併設される「開拓の村」は大正から昭和初期の学校、農家、サケ漁の番屋を復元し、標津の開拓時代にタイムトリップできる仕組み。
「標津のミニ大正村」といった感じになっています。

標津町歴史民俗資料館
標津町歴史民俗資料館
標津町歴史民俗資料館・開拓の村
名称 標津町歴史民俗資料館・開拓の村/しべつちょうれきしみんぞくしりょうかんかいたくのむら
所在地 北海道標津郡標津町伊茶仁2784
関連HP 標津町公式ホームページ
ドライブで 根室中標津空港から約23km
駐車場 50台/有料
問い合わせ 標津町歴史民俗資料館・開拓の村 TEL:0153-82-3674/FAX:0153-82-3674
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

伊茶仁カリカリウス遺跡

2017年6月8日

 

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