福島県須賀川市長沼、長沼小学校の北側にある比高30mほどの丘を利用した中世の山城が長沼城。会津街道の要衝の地に文応元年(1260年)、長沼隆時が城を築き、戦国時代には二階堂家臣の須賀氏が長沼城代を務めていました。天文10年(1541年)、蘆名盛舜(あしなもりきよ)の支配下となり、城地を大改修しています。
戦国時代末、奥州仕置の際に豊臣秀吉も宿泊
蘆名盛舜は、長沼城を黒川城 (のちの会津若松城)の支城にし、会津の防御を固めています。
その後、蘆名氏、佐竹氏、伊達氏の勢力争いの地となり、永禄9年(1566年)、蘆名領となり、蘆名盛氏(あしなもりうじ)の家臣・新国貞通の守城に。
伊達家の攻勢で蘆名氏が佐竹氏の常陸(ひたち=現・茨城県)に逃れた後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置(豊臣秀吉による奥羽諸大名に対する領土決定、奥州仕置軍を伴って巡察行軍)で長沼城は会津を与えられた蒲生氏郷(がもううじさと)に与えられましたが、その仕置きの際に秀吉はこの長沼城に宿泊しています。
その際、東北地方では最初の刀狩・検地令が出された城で、東北の近世の始まりを告げる城ということに。
蒲生氏の左遷後は、島津忠直(しまづただなお)が信濃・長沼城(現・長野県長野市穂保)から入城。
慶長5年(1600年)、徳川軍の上杉征伐の際には徳川勢に対する前線基地として改修され、上杉景勝が居城しています。
元和元年(1615年)、元和の一国一城令で廃城に。
現在、本丸跡、東三の丸跡が公園となり、現在の登城ルートは南東の坂下郭から。
稲荷神社裏手に本丸石垣が、二の丸跡にも土塁や石垣が現存しています。
長沼城 | |
名称 | 長沼城/ながぬまじょう |
所在地 | 福島県須賀川市長沼日高見山 |
関連HP | 須賀川市公式ホームページ |
ドライブで | 東北自動車道須賀川ICから約15km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 須賀川市観光交流課 TEL:0248-88-9144/FAX:0248-94-4563 |
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