奥会津、金山町は、日本有数の豪雪地帯(特別豪雪地帯の指定を受けています)。雪深い暮らしを先祖は知恵と巧みな技で克服してきましたが、そんな暮らしの歴史を集大成したのが旧玉梨小学校民具資料館。昭和52年に廃校となった玉梨小学校の校舎も昭和13年築の木造2階建てという、まさに昭和レトロな建築物です。
廃校となった小学校を貴重な文化財を展示する資料館として再生
ヨーロッパ風の優美な外観は、「日本のチロル」を演出したかのような雰囲気を醸しています。
沼沢湖の畔にあった沼沢小学校(昭和29年築、昭和57年に廃校、現「沼沢湖山荘」)も同様にホテルのようなヨーロッパ風外観なので、意図して建てられていることがうかがい知れます。
角田勝之助氏が60年にわたって撮影した写真、栗城弥平氏(明治45年生まれ)が個人で蒐集した膨大な量の「弥平民具」は必見の価値があります。
ミチフミバンチョウ(道踏み番帳)は、昭和40年頃まで使われた冬の雪道踏み回し番帳。
雪踏みによって集落内外の通路を確保するため、区間を割って当番を定め、雪俵または踏俵(ふみたわら)などを用いて通路を踏み開いたもの。
福島県では明治44年、福島県知事・西久保弘道が『郷土誌』編纂を目的とした第1号の訓令( 「郷土誌ノ調査ハ 国民教育及地方経営上緊要ノ事二属スル」)を出し、昭和7年にも内務官僚でもある村井八郎知事が、その作業を推進しています。
金山町では、川口小学校、沼尻小学校の教員が中心となって、地域の歴史、信仰、地理、習俗を収集。
民俗学が確立していない時代から風俗習慣、年中行事などが記録されてきました。
そういった風土を背景に、実際に使われてきた「弥平民具」は、まさに奥会津のかつての生活を知る貴重な歴史遺産となっているのです。
玉梨温泉(玉梨共同浴場、温泉保養施設せせらぎ荘)や寛保3年(1743年)に当時の住職が入手したという涅槃図(ねはんず)のある常楽寺、幻になってしまった「青ばととうふ」(田んぼのあぜに植えた枝豆を粉にして作ったとうふ)を店主・佐々木謙一さんが復活させて味わうことができる「玉梨とうふ茶屋」もあるので寄り道を。
雪踏みによって集落内外の通路を確保するため、区間を割って当番を定め、雪俵または踏俵(ふみたわら)などを用いて通路を踏み開いたもの。
旧玉梨小学校民具資料館 | |
名称 | 旧玉梨小学校民具資料館/きゅうたまなししょうがっこうみんぐしりょうかん |
所在地 | 福島県大沼郡金山町玉梨 |
ドライブで | 磐越自動車道会津坂下ICから約40km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 金山町教育委員会 TEL:0241-54-5360 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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