茨城県ひたちなか市武田は、あまり知られていませんが、実は甲斐武田氏発祥の地。平安時代、源義光(源義家の弟)の三男である源義清(みなもとのよしきよ)が、常陸国那珂郡武田郷を領有して武田氏を名乗ったのが、武田氏の始まり。武田氏のルーツを記念して鎌倉時代の地方豪族の館を参考にして武田氏館が建てられています。
甲斐武田氏発祥の地
平安時代に常陸は東国の重要な要。
源義光は、東北で起こった後三年の役(1083年〜1089年)で、陸奥守となった兄・源義家を助け、その戦功で常陸介(ひたちのすけ=常陸国の国司)に任ぜられます。
そして、源義光は、在地勢力と連携するため嫡男・義業の妻に常陸大掾の族・吉田清幹(よしだきよもと=平清幹)の娘を迎え久慈郡佐竹郷(現・常陸太田市)に配し、源義業の長男・源昌義(みなもとのまさよし)は「佐竹冠者」と呼ばれ佐竹氏として常陸へ土着しています。
三男の源義清を那珂郡武田郷に配し、勢力の拡大を図ったのです。
このとき、源義清は、武田冠者を名乗り、武田氏が誕生します。
甲斐国へと移るのは、大治5年(1130年)、在地勢力である吉田清幹(よしだきよもと)らに「常陸国司住人清光濫行」(源師時の日記『長秋記』)と朝廷に告発され、源義清・清光親子は甲斐国の市河荘(甲府盆地一帯、山梨県昭和町に義清神社が鎮座)へと配流になったから。
武田信玄は義清から17代後にあたります。
主殿造りで、厩(うまや)と納屋を併設する武田氏館には、武田氏系図、鎧(よろい)などの武具、武田遺跡群の発掘調査出土品などを展示しています。
往時の武田氏館は那珂川を見下ろす武田台地の南端にあったと推測されています。
ちなみに武田氏館の前に鎮座する湫尾神社(ぬまおじんじゃ)は、武田郷の鎮守。
源義清は、配流先となった巨摩郡平塩岡(現・市川三郷町市川大門)に居館を構えていますが、居館跡とされる熊野神社に甲斐源氏旧跡の碑が立っています。
武田氏館 | |
名称 | 武田氏館/たけだうじやかた |
所在地 | 茨城県ひたちなか市武田566-2 |
関連HP | ひたちなか市公式ホームページ |
電車・バスで | JR常磐線勝田駅から茨城交通バス水戸行きで武田本町下車、徒歩10分 |
ドライブで | 北関東自動車道ひたちなかICから約7.3km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 武田氏館 TEL:029-276-2525 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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