筑波山神社随神門(旧中禅寺仁王門)

筑波山神社随神門(旧中禅寺仁王門)

茨城県つくば市筑波、神仏習合の筑波山信仰を今に伝える筑波山神社。筑波山山頂の男体山と女体山にある本殿を遥拝するのが山腹の拝殿ですが、拝殿前に建つのが筑波山神社随神門(旧中禅寺仁王門)。初代は寛永10年(1633年)、3代将軍・徳川家光により寄進ですが、現存するのは文化8年(1811年)の再建で、つくば市の文化財に指定。

江戸時代には中禅寺の仁王門だった!

明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは筑波山信仰の中心は神仏習合の中禅寺だったため(筑波山神社はその後継)、初代の随神門も、徳川家光の中禅寺大修築の際に造営されたもの。

宝暦4年(1754年)、明和4年(1767年)に焼失し、文化8年(1811年)に現在の門が再建されています。
今では随神門ですが、往時は仁王門で、仁王像(金剛力士像)を安置していました。
筑波山神社が神社なのに寺の雰囲気があるのはそのため(神仏習合時代の名残)。

廃仏毀釈の際、仁王像は、桜川から筏(いかだ)で流され、東福寺(つくば市松塚)に遷されています。

明治維新後、中禅寺は廃絶、筑波山神社になり、倭健命(やまとたけるのみこと)、豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の随神像を祀り、随神門と呼ばれるようになりました。

随神門の脇にある、光譽上人五輪塔(こうよしょうにんごりんとう)は、廃仏毀釈で破却を免れたもの。
光誉上人、は大坂の陣の際、徳川家康軍に帯同、陣中祈祷などを行なったとされ、その際、ケガの治療にガマ成分(蟾酥・センソ)に山野草成分や動物油脂などを加えた「陣中膏ガマの油」を使用。
それで筑波山のガマの油が有名になったと伝わっています。

随神門から神橋を経て南に伸びる道が、江戸時代からの参詣道である「つくば道」(「日本の道100選」選定)ですが、もともとは初代の仁王門などを建築する際に、運搬道として開削された。
現在では茨城県道139号(筑波山公園線)となっていますが、道幅などは往時のままに残されています。

筑波山神社随神門(旧中禅寺仁王門)
名称 筑波山神社随神門(旧中禅寺仁王門)/つくばさんじんじゃずいしんもん(きゅうちゅうぜんじにおうもん)
所在地 茨城県つくば市筑波1
関連HP 筑波山神社公式ホームページ
ドライブで 常磐自動車道土浦北ICから約20km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 筑波山神社 TEL:029-866-0502/FAX:029-866-0565
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

筑波山神社

筑波山神社は筑波山をご神体として祀る山岳信仰の霊場。祭神となる筑波山の中腹にあり、登山道の起点ともなっています。双耳峰である筑波山山頂の男体山には筑波男大神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、女体山には筑波女大神の伊弉冉尊(いざなみのみこと)

筑波山神社神橋(旧中禅寺神橋)

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