太子古墳

太子古墳

茨城県かすみがうら市、富士見塚古墳公園北西、茨城県道118号(石岡田伏土浦線)沿いにある古墳が、太子古墳。地元では「太子のカロウド」と称され、明治時代の開墾で削平され、横穴式石室のみが露出しています。貴重な装飾古墳としても知られますが、風化が進み彩色は一部が確認できるのみとなっています。

霞ヶ浦の畔に、横穴式石室が露頭

太子古墳

もともとは全長60mの前方後円墳であったとされていますが、土地の開墾で墳丘の大部分が削平されています。
横穴式石室は、羨道から玄室奥壁(内側)までの長さ386cm、奥壁の幅130cm、玄室の高さ135cmで、半地下式に前方後円墳の後円部に築かれたものと推測できます。
玄室は両側壁とも2個の石で組まれ、奥壁は高さ1.37mの一枚岩で構成。
石材は変成岩で、築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半で、方墳や円墳、八角墳などが築かれた時代に前方後円墳が築かれていたことになります。

明治29年に東京帝国大学人類学教室の図画嘱託(画工)を務めた大野延太郎(おおののぶたろう)によって「奥壁ハ全面朱塗リニシテ左右両側壁ニハ朱ノ丸数個画キアルヲ認メタリ」と装飾古墳として発表された古墳ですが(左側壁に赤い色彩による円文が5段くらいに配列)、開口しているために風化が進み、現在は彩色の一部を確認することができるのみとなっています。

茨城県の史跡ですが、個人の土地なのでマナーを守って見学を。

ちなみに「太子のカロウド」のカロウドは、唐櫃(からびつ)のことで石棺を意味しています。

茨城県内の装飾古墳としては太子古墳を含め18基が確認され、ひたちなか市にある虎塚古墳(とらづかこふん/前方後円墳)が有名ですが、やはり7世紀前半頃に築造されています(明治大学考古学博物館初代館長・大塚初重教授が調査に携わり、石室未開口状態での内部環境化学調査が初めて行なわれた古墳です)。
古墳の石室内に装飾が行なわれるのは、茨城県が東限で、東北では横穴古墳に装飾が施されています。

太子古墳
太子古墳
名称 太子古墳/たいしこふん
所在地 茨城県かすみがうら市安食734-1
関連HP かすみがうら市歴史博物館公式ホームページ
ドライブで 常磐自動車道土浦北ICから約19km
問い合わせ かすみがうら市歴史博物館 TEL:029-896-0017
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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