三昧塚古墳

三昧塚古墳

茨城県行方市(なめがたし)、霞ヶ浦(西浦)の北岸の沖積地は、古代の豊かな漁業資源、水運の便利さなどを反映して数多くの古墳がある古墳密集地帯(沖洲古墳群)。そのうちのひとつ三昧塚古墳(さんまいづかこふん)は、墳丘長82.1mの前方後円墳。一帯は三昧塚古墳農村公園として整備され、国道355号沿いに駐車場が用意されています。

霞ヶ浦(西浦)の北岸に築かれた前方後円墳

三昧塚古墳

沖洲古墳群は沖積低地が霞ヶ浦に接する部分に築造されていますが、三昧塚古墳のみ沖積低地に築かれ、他の古墳は台地上にあります。

三昧塚古墳は、昭和30年の霞ヶ浦堤防工事で、なんと築堤用土砂採取のために墳丘が削平されていますが、その後、発掘調査が行なわれ、往時の姿に復元されています。
発掘調査の結果、周辺に濠が巡らされ、墳丘には円筒埴輪、形象埴輪が三重に並べられていたことがわかっています。
昭和30年の発掘調査では、円筒埴輪のほかに、人物埴輪、動物埴輪(馬、鹿)が出土しています。
埴輪は、後円部とくびれ部には、上段、中段、下段の3段に、また、前方部では、下段と中段の2段に配されていたと報告されています。
また、石棺内からは、金銅製馬形飾付冠(こんどうせいうまがたかざりつきかんむり)をはじめとして、竹櫛(たけくし)、金銅製垂飾付耳飾り(こんどうせいたれかざりつきみみかざり)、玉類、変形四神四獣鏡(へんけいししんしじゅうきょう)などの副葬品が見つかっています。

副葬品、埴輪などから5世紀後半の築造と推測され、出土品(茨城県立歴史館が収蔵)は国の重要文化財に指定。
舟塚山古墳(ふなつかやまこふん/墳丘長186m、茨城県石岡市にある茨城県では最大、関東地方では第2位の)の前段階(茨城国造誕生の直前)となる古墳と推測されています。

沖洲古墳群は、最初に勅使塚古墳(ちょくしづかこふん)が築かれ、その後、三昧塚古墳、権現山古墳、大日塚古墳と続いています。

三昧塚古墳
名称 三昧塚古墳/さんまいづかこふん
所在地 茨城県行方市沖洲
関連HP 行方市公式ホームページ
電車・バスで JR石岡駅からタクシーで25分
ドライブで 常磐自動車道千代田石岡ICから約12km
駐車場 三昧塚古墳農村公園駐車場(10台/無料)
問い合わせ 行方市商工観光課 TEL:0291-35-2111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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