魯山人寓居跡 いろは草庵

魯山人寓居跡 いろは草庵

石川県加賀市山代温泉にある北大路魯山人(きたおおじろさんじん/当時は福田大観)ゆかりの寓居(ぐうきょ=仮の住まい)の跡が魯山人寓居跡 いろは草庵。大正4年、金沢に住む細野燕台の紹介で山代温泉を訪れた北大路魯山人は、旅館吉野屋の別邸を仕事場とし吉野屋と須田菁華窯の刻字看板を彫っています。

山代温泉に滞在した北大路魯山人の仕事場

細野燕台の紹介で半年ほど滞在した山代温泉の別邸は、明治初期に建てられた木造瓦葺きの建物(主屋)で、国の登録有形文化財。
趣味人として鳴らした山代温泉の旦那衆との交流サロンにもなっていました。

魯山人が滞在した当時そのままに残され、木造瓦葺きの主屋と土蔵をロビーで繋ぎ、「いろは草庵」として公開されています。
魯山人が吉野屋と須田菁華窯の刻字看板を彫った仕事部屋、書や絵を描いた書斎、山代の旦那衆と語り合った囲炉裏の間、茶室・展示室(土蔵)があります。
主屋までのアプローチは星岡茶寮の石畳を模したもの。
主屋の壁面がベンガラ色なのは、一般公開時に増築された部分です。

山代温泉滞在中、看板を彫るかたわら須田菁華窯(すだせいかがま=明治16年開窯の九谷焼窯元で、当主の須田菁華さんは4代目)に通った魯山人は陶芸に魅せられ、山代温泉で陶芸家への第一歩を踏み出したのです。

北大路魯山人と山代温泉の関係とは!?

北大路魯山人

北大路魯山人(きたおおじろさんじん)は、明治40年、福田鴨亭(ふくだおうてい)を名乗り、町書家・岡本可亭(岡本太郎の祖父)の門から独立し、結婚。
明治43年から朝鮮総督府京龍印刷局に書記として3年ほど勤めた後、福田大観(たいかん)の号で、各地に天井画、襖絵、篆刻などを残し、鯖江の豪商、窪田朴了の紹介で金沢の細野燕台(ほそのえんたい=茶人で書家、魯山人の才能を認めた最初の人物)のもとに寄留し、美食や陶芸について啓発されています。

その細野燕台のもとで過ごすうちに、魯山人が興味をもったのが細野家で使われる酒器や食器類。
細野燕台は、山代に窯を持つ須田菁華が煎茶仲間で、自分で絵付けをして須田菁華で焼いてもらっていたのです。

その年の晩秋、細野燕台を魯山人を伴って山代温泉を訪れ、老舗旅館「吉野屋」の主人・吉野治郎、そして須田菁華を紹介し、看板の注文を懇請。
ふたりは一旦金沢に戻りますが、魯山人はその年の暮から翌年の春を、吉野屋の裏手にあるその別荘で過ごすことに。
「吉野屋」の吉野治郎は、山代温泉の旅館の主人に紹介し、数軒の宿の屋号の看板を魯山人に依頼してもいます。

山代温泉は加賀温泉郷でもっとも賑わった温泉地で、東西の様々な文化を集約した場所でもあり、北前船の船主や船頭などを含め、諸国からの旅人が集まる旅館がその文化の発信地にもなっていました。

往時の吉野屋があった場所は、現在の山代温泉総湯の場所で、「吉野屋」の門のみ残されています。

魯山人寓居跡 いろは草庵
名称 魯山人寓居跡 いろは草庵/ろさんじんぐうきょあと いろはそうあん
所在地 石川県加賀市山代温泉18-5
関連HP 魯山人寓居跡 いろは草庵公式ホームページ
電車・バスで JR加賀温泉駅から加賀温泉バス山中温泉行きで15分、山代西口下車、徒歩5分
ドライブで 北陸自動車道加賀ICから約8km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 魯山人寓居跡 いろは草庵 TEL:0761-77-7111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
山代温泉総湯

山代温泉総湯

石川県加賀市の山代温泉にある共同湯が、総湯。江戸時代の山代温泉は、湯の曲輪(ゆのがわ)と呼ばれる総湯(共同湯)を中心に宿が立ち並び、温泉街を構成していますが、その湯の曲輪の再生で、かつての総湯を明治の湯浴みを復元した古総湯、そして旧吉野屋旅

 

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