禄剛埼灯台

石川県珠洲市、能登半島の先端、禄剛崎(ろっこうさき)に建つのが、禄剛埼灯台。明治16年イギリス人技師ブラントン(Richard Henry Brunton)の設計で、日本人技術者の手によって建設された灯台。近代化産業遺産としても認定されるほか、日本の灯台50選」にも選定。

能登半島最北に現存する明治期の石造灯台

能登の内浦と外浦を分ける禄剛崎の沖合は、北前船の難所ともなっていたため、宝暦6年(1756年)、常夜灯設置の要望から、山伏山の一角に灯明台を設置しています。
かつては狼煙(のろし)という地名のままに篝火(かがりび)を焚き、沖ゆく船の安全を図ったという海上交通の要所です。

実は能登半島先端の沖合は暗礁が多い難所で、しかも富山湾に入るときに変な波が立つなど、要注意の場所。

この禄剛埼灯台、「日本の灯台の父」と呼ばれるブラントンの設計ではあるものの、日本人の手による最初の洋式灯台で、灯塔入口上部に掲げられた菊の紋章も、全国の灯台でも唯一のもの。
日本人のみで築いた意気込みの印です。

灯台に用いた石材は、穴水から切り出し、海路60kmを小船で運搬。
岬の斜面にわざわざ索道を設け、標高36mの台地の上まで人力で引き上げています。

難工事の末、明治16年7月10日に初点灯。
日本海側で3番目の古い灯台で、沖ゆく北前船などの安全を守ってきました。
地上から灯火部分までは12m、光達距離は33kmもあります。

禄剛埼灯台

能登半島地震でレンズが壊れ、LED化

禄剛崎灯台

昭和15年に電化され、昭和38年に無人灯台に。
海上保安庁のAランクの保存灯台に選定されているほか、経済産業省の「安全な船舶航行に貢献し我が国の海運業等を支えた燈台等建設の歩みを物語る近代化産業遺産群」(近代化産業遺産群)の一つにも認定されています。

円形の灯台の基部に半円形の部分がありますが、これは建築当初、燃料油貯蔵室に使われた部分。
まさに明治期の特徴をそのままに残しているのです。

レンズも能登半島地震まではフランス製の第2等不動レンズを現役で使用。
現在の灯台は、レンズを回転させることにより光を点滅させていますが(点滅のサイクルは灯台によって異なり、灯台がどこなのかが分かる仕組み)、禄剛埼灯台はレンズは固定され、遮蔽板(しゃへいばん)を回転させることによって点滅を生み出していました。

「現役では国内最大の不動レンズ」を備えるため、国の重要文化財指定を目指していましたが、能登半島地震の影響でレンズの一部が崩落。
製造技術が途絶えているため、修復も作り直すのも不可能に近く、令和7年3月25日に光源のLED化を含めた復旧工事が完了しています。

参観灯台ではないため、見学はできませんが、年に3回ほど灯台の一般公開が行なわれています。

灯台下には千畳敷と呼ばれる岩棚があり、一帯は能登半島国定公園に指定されています。
また、「海から昇る朝日と、海に沈む夕陽」を見ることができる場所としても有名です。

禄剛崎灯台
禄剛埼灯台
名称禄剛埼灯台/ろっこうさきとうだい
所在地石川県珠洲市狼煙町イ-51
関連HP珠洲市公式ホームページ
ドライブで能登空港から約54km
駐車場110台/無料
問い合わせ珠洲市観光交流課 TEL:0768-82-7776
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
禄剛崎

禄剛崎

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