石川県小松市立明寺町、ハニベ巌窟院(はにべがんくついん)近くにあるのが鵜川石切り場。飛鳥時代の河田山古墳(飛鳥時代)の石室から近世の小松城の石垣、そして近代建築にも使われる角礫凝灰岩石材の石切り場の跡で、水が溜まった洞内は、「青の洞窟」のようだと話題になっています。
現存する小松城本丸石垣は、鵜川石
石を切り出した跡に生まれた洞窟内に貯まった地下水が、角度によって青にも緑にも照らし出され、幻想的な雰囲気を生み出しています。
鵜遊立地域活性化委員会(鵜遊立・うゆうりつ=鵜川町、遊泉寺町、立明寺町の頭文字)による町おこしの一環で、予約でガイド付き見学が行なわれていましたが、現在は休止中。
古墳時代後期に建築部材として活用が始まったと推測される鵜川石。
河田山古墳の石室は、朝鮮半島の王墓の影響を受けたと考えられるアーチ形石室が見つかっていますが(国内に例を見ない、大陸からの技術で築造)、鵜川石が使われています(河田山古墳群史跡資料館に移築復元)。
現存する小松城本丸櫓台石垣、小松城本丸西側石垣などは鵜川石が使われています。
小松城本丸櫓台石垣は、加賀藩3代藩主・前田利常(まえだとしつね)が、鵜川石と金沢の戸室山山麓で産する戸室石(とむろいし=角閃石安山岩、金沢城の石垣にも使用)をモザイク状に組み合わています。
近くにあるハニベ巌窟院は、洞窟丁場(洞窟となった石切り場)を再生したものです。
日本遺産『「珠玉と歩む物語」小松〜時の流れの中で磨き上げた石の文化〜』の構成資産で、小松市には、鵜川石切り場のほか、ガイド付きで見学が可能な滝ヶ原石切り場、現在も掘削が行なわれる日華石(浮石質凝灰岩)の石切り場の観音下石切り場、第二次大戦末期には中島飛行機(現・富士重工業)が洞窟を利用して部品を製造した遊泉寺石切り場跡があります。
また、鵜川石切り場近くには、最盛期には人口5000人もの鉱山町を形成した遊泉寺銅山跡があり、遊泉寺銅山ものがたりパークとして整備されています。
鵜川石切り場 | |
名称 | 鵜川石切り場/うがわいしきりばあと |
所在地 | 石川県小松市鵜川町 |
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