宮沢賢治記念館

宮沢賢治記念館

『雨ニモマケズ』、『風の又三郎』、『銀河鉄道の夜』など名作を残した宮沢賢治の故郷、岩手県花巻市にあるミュージアムが宮沢賢治記念館。明治29年に岩手県稗貫郡里川口村(現・花巻市)で生まれ、37歳で夭折(ようせつ)した賢治の足跡に触れることができる内容充実の記念館です。

宮沢賢治の描いた壮大な宇宙にアプローチ

宮沢賢治記念館

常設展示室は、「宮沢賢治の心象世界」、「宮沢賢治の作品世界」、「宮沢賢治のフィールド」の3つのテーマで解説。
その世界観や、宇宙観を支える「心象」を鍵に、農学や化学を学んだ科学的視点の「科学」、人生そのものを総合芸術として受けとめる「芸術」、岩手をイーハトヴ(実在する理想郷)と表現した「宇宙」、妙法蓮華経に傾倒した「祈」、羅須地人協会を開いて農民教育を行なった「農」の5つの部門に分けて、その活躍を紹介しています。

原稿や愛用品の展示のほか、ビデオやなどによりイーハトーブの世界が解説され、なかでもスライド上映の「宮沢賢治の四季」、サウンドボックス「宮沢賢治の歌曲」では、賢治の描いた壮大な宇宙にアプローチすることができます。
企画展も随時開催。
宮沢賢治記念館は、宮沢賢治が法華経を埋納しようとした32の「経埋ムベキ山」(きょううずむべきやま)のひとつ、胡四王山(こしおうざん)の中腹にあり、展望ラウンジからは賢治の目線で、周囲を眺めることができます。

また宮沢賢治記念館南側に位置する「ポランの広場」には、宮沢賢治が設計した南斜花壇と日時計花壇があります(宮沢賢治が遺した設計書をもとに再現)。

質・古着商の宮澤政次郎とイチの長男として生まれた宮澤賢治。
花巻川口尋常高等小学校、浄土真宗の信者だった父の影響を受け、岩手県盛岡中学(旧制盛岡中学=現・盛岡第一高等学校)、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)を経て稗貫農学校(のちの花巻農学校=現・花巻農業高等学校)教師となり、その後、詩集と童話出版を出版。
大正15年3月31日、花巻農学校を依願退職、故郷に羅須地人協会を設立。

宮沢賢治記念館
名称 宮沢賢治記念館/みやざわけんじきねんかん
所在地 岩手県花巻市矢沢1-1-36
関連HP 花巻市公式ホームページ
電車・バスで JR花巻駅から岩手県交通バス新花巻駅経由晴山行きで18分、賢治記念館前下車、徒歩10分
ドライブで 東北自動車道花巻南ICから約8.5km
駐車場 60台/無料
問い合わせ 宮沢賢治記念館 TEL:0198-31-2319
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
羅須地人協会

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岩手県花巻市にある大正15年に宮沢賢治が設立した私塾が羅須地人協会(らすちじんきょうかい)。宮沢賢治は大正15年、花巻農学校を退職し、農民たちに農業技術や農業芸術論などを講義するため現在の花巻市桜町に羅須地人協会を開設。入口前の黒板には、「

石と賢治のミュージアム

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イギリス海岸

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ポランの広場

ポランの広場

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