日本四大縄文遺跡とは!?

縄文時代の遺跡で国の特別史跡は、三内丸山遺跡(青森県青森市)、大湯環状列石(秋田県鹿角市)、加曽利貝塚(千葉県千葉市)そして尖石石器時代遺跡(長野県茅野市)の4ヶ所で、以上の一度は訪れてみたい個性ある縄文遺跡が日本四大縄文遺跡と呼ぶことができるでしょう。

三内丸山遺跡|青森県青森市

所在地:青森県青森市三内丸山
時代:紀元前3900年~紀元前2200年/中心は紀元前3000年~紀元前2200年(拠点となる集落の出現期)
史跡指定:国の特別史跡
内容:定住の発展期に誕生した拠点集落。膨大な量の土器や石器が出土したほか、大規模な盛土からは、日本最多となる2000点を超える土偶が出土
縄文時代には、巨大な建物を有して定住していたという日本の古代史を塗り替えた遺跡(竪穴住居、成人用土抗墓、小児用甕棺墓、掘立柱建物、盛り土、捨て場、粘土採掘穴、貯蔵穴、道路などが計画的に配置)
ビジターセンター:三内丸山遺跡センター
備考:世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」を代表する構成資産
高さ14.7mの大型掘立柱建物や長さ32mの大型竪穴住居などが復元され、訪れる人の縄文時代、そして古代史に対する認識を一変させてくれます

特別史跡 三内丸山遺跡

特別史跡 三内丸山遺跡

青森県青森市三内丸山、縄文時代前期から中期(約5500年前)に繁栄した巨大集落で国の特別史跡になっているのが三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)。世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」を代表する構成資産で、縄文時代には、巨大な建物を有して

三内丸山遺跡センター(縄文時遊館)

三内丸山遺跡センター(縄文時遊館)

青森県青森市三内丸山にある世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群 」(17ヶ所の遺跡で構成)の中核となる遺跡が三内丸山遺跡。その入口にある入場ゲートを兼ねたガイダンス施設が三内丸山遺跡センター(縄文時遊館)。三内丸山遺跡から出土した

大湯環状列石秋田県鹿角市

所在地:秋田県鹿角市十和田大湯万座
時代:紀元前2000年~紀元前1500年(共同の祭祀場と墓地の進出時代)
史跡指定:国の特別史跡
内容:昭和6年に発見された遺跡で、ストーンサークルともよばれている縄文時代後期の大型の配石遺跡
万座環状列石(最大径52m)と野中堂環状列石(最大径44m)の2つの環状列石があり、それを取り囲んで掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置(環状集落が、環状列石を取り囲むというユニークな配置)
ビジターセンター:大湯ストーンサークル館
備考:世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産
万座環状列石の直径は52m、組石48基で、現在発見されている国内のストーンサークルでは最大のもの

大湯環状列石

大湯環状列石

鹿角市にある大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)は、昭和6年に発見された遺跡で、ストーンサークルともよばれている縄文時代後期の大型の配石遺跡。国の特別史跡に指定され、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産ひとつで、環状列石も日

大湯ストーンサークル館

大湯ストーンサークル館

秋田鹿角市、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産である大湯環状列石に隣接して建てられた、ガイダンス施設が大湯ストーンサークル館。大湯環状列石の保護や調査、紹介を行なう施設で、大湯環状列石からの出土品や遺物、資料などを展示公開して

加曽利貝塚|千葉県千葉市

所在地:千葉市若葉区桜木8-33-1
時代:縄文時代中頃〜縄文時代末期(5000年前〜2000年前)
史跡指定:国の特別史跡
内容:南貝塚、北貝塚に分かれる貝塚は、総面積は15.1haと世界でも最大規模
直径約140mでドーナツ形の北貝塚と、長径約170mで馬のひづめの形の南貝塚が8の字に連結するユニークな構造
集落を伴う「ムラ貝塚」として日本最大級の遺跡
ビジターセンター:千葉市立加曽利貝塚博物館
南貝塚には貝層断面観覧施設、北貝塚の貝層断面・竪穴住居跡群観覧施設などが整備
備考:貝塚一帯は加曽利貝塚公園として整備され、公園は日本の歴史公園100選にも選定
坂月川沿いの緑地は「縄文の森特別緑地保全地区」として保全

加曽利貝塚公園

加曽利貝塚公園

千葉市若葉区にある縄文時代の貝塚が加曽利貝塚(かそりかいづか)。南貝塚、北貝塚に分かれる貝塚は、総面積は15.1haと世界でも最大規模の貝塚で、国の特別史跡に指定されています。さらに都川の支流である坂月川の舌状台地上にある貝塚一帯は加曽利貝

尖石石器時代遺跡|長野県茅野市

所在地:長野県茅野市豊平
時代:縄文時代中期の集落遺跡(5000年前〜4000年前)
史跡指定:国の特別史跡(昭和27年、縄文遺跡として初の指定)
「高原地における石器時代の聚落(しゅうらく)地を示すものとして、学術上の価値が特に深い」
内容:明治24年、『東京人類学会雑誌』誌上で初めて尖石遺跡(当時は広見の遺跡と呼ばれていました)が紹介され、日本で最初に「縄文のムラ」の存在が確認された地となっています
八ヶ岳山麓、標高1050m〜1070mほどの高原地帯(尖石遺跡と隣接する与助尾根遺跡、与助尾根南遺跡)からは、縄文時代中期の竪穴住居が200軒余り発見されています
ビジターセンター:茅野市尖石縄文考古館
備考:茅野市尖石縄文考古館の北側にある与助尾根遺跡には縄文のムラを再現、縄文時代のイメージをつかむことができます
茅野市尖石縄文考古館では、中ッ原遺跡出土の国宝土偶「仮面の女神」、棚畑遺跡出土の国宝土偶「縄文のビーナス」も展示

尖石石器時代遺跡・尖石遺跡

尖石石器時代遺跡・尖石遺跡

長野県茅野市豊平、茅野市尖石縄文考古館の南側に位置するのが、尖石遺跡(とがりいしいせき)。縄文時代中期の集落遺跡で、車道(縄文の道)を隔てた茅野市尖石縄文考古館の北側には竪穴住居6棟が復元された与助尾根遺跡があり、一帯が国の特別史跡・尖石石

尖石石器時代遺跡・与助尾根遺跡

尖石石器時代遺跡・与助尾根遺跡

長野県茅野市豊平、茅野市尖石縄文考古館の北側に位置するのが、与助尾根遺跡。縄文時代中期の集落遺跡で、車道(縄文の道)を隔てた南側には有名な尖石遺跡(とがりいしいせき)で、一帯が国の特別史跡・尖石石器時代遺跡です。与助尾根遺跡には6軒の住居を

茅野市尖石縄文考古館

茅野市尖石縄文考古館

長野県茅野市豊平、国の特別史跡「尖石石器時代遺跡」を構成する尖石遺跡と与助尾根遺跡の間に建つのが、茅野市尖石縄文考古館。八ヶ岳山麓の縄文文化を詳しく解説するほか、出土品を展示。なかでも中ッ原遺跡出土の国宝土偶「仮面の女神」、棚畑遺跡出土の国

日本四大縄文遺跡とは!?
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日本三大史跡

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史跡とは、「貝塚、古墳、都城跡、城跡、旧宅、その他の遺跡で、我が国にとって歴史上または学術上価値の高いもの」のうち重要なもの(文化財保護法)。そのなかから選ばれた3ヶ所が日本三大史跡で、多賀城跡(宮城県多賀城市)、平城宮跡(奈良県奈良市)、

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近年、考古学は新たな発見などもあって大きな変化、進展を遂げていますが、従来、日本三大遺跡とされてきたのが、長野県にある縄文遺跡の尖石遺跡、平出遺跡、そして静岡県の弥生時代の遺跡である登呂遺跡です。尖石遺跡と登呂遺跡は国の特別史跡に指定されて

日本三大遺跡(弥生集落)

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国の特別史跡に指定されている登呂遺跡(静岡県静岡市)、原の辻遺跡(長崎県壱岐市)、吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町・神埼市)は、稲作の始まった弥生時代の大規模な集落遺跡。九州の2遺跡は『魏志倭人伝』の謎を秘めた遺跡で、以上が日本三大遺跡

 

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