鹿児島県指宿市(いぶすきし)十二町にある縄文時代から平安時代にかけての複合遺跡が、橋牟礼川遺跡(はしむれがわいせき)。縄文時代が弥生時代よりも以前の時代であることを初めて立証した貴重な遺跡で、開聞岳の爆発で埋まった集落遺跡もあり、「東洋のポンペイ」とも呼ばれています。
縄文土器と弥生土器の時代差を日本で初めて証明した遺跡
大正5年、指宿出身の旧制志布志中学校の生徒・西牟田盛健が縄文土器と弥生土器を拾ったことがきっかけで、縄文時代と弥生時代の遺跡が上層、下層と複合的になっていて、出土した地層から縄文土器は弥生土器よりも古い年代のものだということが初めて判明した遺跡として知られています。
この発掘調査から、縄文時代→弥生時代という年代関係が確定したのです(ただし、当時、弥生時代の土器だと推定した上層の土器は、実は古墳時代後期の成川式土器でした)。
「指宿市考古博物館 時遊館Coccoはしむれ」があり、橋牟礼川遺跡を中心に南九州の古代史が詳しく解説されています。
昭和63年の発掘調査で、貞観16年(874年)の開聞岳の噴火で埋没した集落跡が発見され(居住地域や耕作地が埋没するなどの災害が生じたことが判明)、『日本三代実録』の記述を裏付けています。
『日本三代実録』貞観十六年七月二日条=大宰府言、薩摩国従四位上開聞神山頂、有火自焼。煙薫満天。灰沙如雨。震動之声聞百余里。近社百姓震動恐失精。求之蓍亀、神願封戸、及汚穢神社、仍成此祟。勅奉封二十戸。
『日本三代実録』貞観十六年七月二十九日条=大宰府言、去三月四日夜、雷霆発響。通宵震動。遅明天気陰蒙、昼暗如夜。干時雨沙色如聚墨、終日不止。積地之厚、或処五寸、或処可一寸余。比及昏暮、沙変成雨。禾稼得之皆至枯損、河水和沙、更為虚濁。魚龞死者無数、人民有得食死魚者、或死成病。
火山灰が厚く堆積した地域では、集落の再建を断念し、被害の少なかったエリアが噴火後の政治・経済の中心地となったこともわかっています。
こうした平安時代の被害から、橋牟礼川遺跡は「東洋のポンペイ」とも称されることがあります。
現在2haが史跡公園として整備され(周囲は閑静な住宅街)、4軒の古代住居が復元されているほか、貝塚や地層の展示施設が設置されています。
橋牟礼川遺跡 | |
名称 | 橋牟礼川遺跡/はしむれがわいせき |
所在地 | 鹿児島県指宿市十二町2316 |
関連HP | 指宿市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR指宿駅から徒歩20分 |
ドライブで | 指宿スカイライン頴娃ICから約25km |
駐車場 | 指宿市考古博物館 時遊館Coccoはしむれ(50台/無料) |
問い合わせ | 指宿市考古博物館 時遊館Coccoはしむれ TEL:0993-23-5100/FAX:0993-23-5000 |
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