上野原縄文の森(上野原遺跡)

上野原縄文の森

霧島市国分の市街地から南東約2kmの上野原台地で発見された、約9500年前から7500年前にかけての定住集落跡(上野原遺跡)やその出土品を通じて縄文時代の文化や生活を知ることができるテーマパークが上野原縄文の森。「縄文の森展示館」では遺跡のことを詳しく解説しています。「日本の歴史公園100選」にも選定。

南九州にもあった縄文時代の大集落!

錦江湾最奥、検校川河口に臨む標高約260mの台地上にある上野原遺跡は昭和61年に発見された国内最古級のムラ(9500年前と推測される定住集落)で最大級(52基の住居跡)の縄文時代早期の集落遺跡。

約9500年前(縄文時代早期前葉)の2条の道跡とともに発見された52軒の竪穴住居跡群や調理施設とされる39基の集石遺構と16基の連穴土坑など集落跡は国指定史跡(南九州地域における定住化初期の様子を知る大集落)。
また約7500年前(縄文時代早期後葉)の遺跡は、まつりなどの儀式が行なわれた場と推測され、出土品(壺型土器、鉢形土器)は、国の重要文化財に指定されています。

広大な園内は、縄文時代の暮らしを解説する「縄文の森展示館」や復元集落、地層観察館(桜島の火山灰など17層の地層のうち9層目、10層目から発掘されています)、遺跡保存館(9500年前の竪穴住居跡や集石・土坑などを発掘されたままの形で見学可能)などのある「見学エリア」、火起こしなどの縄文体験が可能な体験学習館、古代家屋群、展望の丘などのある「体験エリア」の2つのエリアに分かれており、それぞれに9500年前の森と7500年前の森が復元されています。

また、「鹿児島県立埋蔵文化財センター」もあり、出土品の整理作業の様子などを見学することができます。

縄文時代は南九州から始まった!?

縄文時代の遺跡というと、三内丸山遺跡(青森県青森市)に象徴されるように、北東北・南北海道が有名で、縄文時代の人口・文化の中心は東日本だったと思われがちです。
昭和61年、国分上野原テクノパークの造成中に、日本最古級の大規模集落跡(上野原遺跡)が発見されたことなどから、現在では縄文時代は南九州から始まったとさえいわれるほどになっています。

縄文時代早期の南九州は、トンネル状の炉を使った燻製施設、焼いた集石を使った蒸し焼き調理施設、壺形土器など最も成熟した文化を有していたこともわかっています。

ただし、進んだ縄文文化でしたが、7300年前、薩摩半島から南へ約50㎞の大隅海峡で鬼界カルデラが破局噴火を起こし(日本での最後の破局噴火)、九州全土に渡り火山灰が50cm以上も降り注ぎ、定住生活の縄文文化も壊滅的な打撃を受けました。
以降1000年ほどは人の営みの記録が見つかっていおらず、以降の縄文人も当初の先進的な文化を受け継いではいません。

上野原縄文の森(上野原遺跡)
名称 上野原縄文の森(上野原遺跡)/うえのはらじょうもんのもり(うえのはらいせき)
所在地 鹿児島県霧島市国分川内1376-1
関連HP 上野原縄文の森公式ホームページ
電車・バスで JR国分駅から林田バス上野原遺跡行きで20分、終点下車、すぐ
ドライブで 東九州自動車道国分ICから約6.5km
駐車場 417台/無料
問い合わせ 上野原縄文の森 TEL:0995-48-5701/FAX: 0995-48-5704
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
上野原縄文の森展示館

上野原縄文の森展示館

昭和61年、国分上野原テクノパークの造成中に発見された上野原遺跡(鹿児島県霧島市)は、上野原縄文の森(県営公園)として整備されていますが、その中心施設が上野原縄文の森展示館。縄文時代の縄文時代早期前葉に定住したムラがあったことをじっくりと学

 

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