横瀬浦公園

横瀬浦公園

長崎県西海市西海町横瀬郷、佐世保湾に臨む横瀬浦は、天然の良港を利用して、日本初のキリシタン大名・大村純忠(おおむらすみただ)が開港し、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイス上陸の地とされる場所。南蛮貿易は1年間ほどしか行なわれていませんが、その歴史を後世に伝えるため横瀬浦公園が整備されています。

平戸に代わる南蛮貿易の港として開港した地

横瀬浦公園

永禄4年(1561年)、平戸でポルトガル商人と日本人商人の絹糸(または絹織物)の売り買いに関する諍(いさかい)から紛争が勃発、ポルトガル人側(フェルナン・デ・ソウサ船長)は、14名の死傷者を出して平戸港を脱出しています(宮ノ前事件)。
ルイス・デ・アルメイダ神父は、大村純忠と接触し、永禄5年(1562年)、横瀬浦を新たな貿易港として開港することを約束、永禄6年(1563年)には洗礼を受けて、日本初のキリシタン大名となったのです。
平戸での紛争の背景に、仏教徒のキリスト教徒に対する不信感があったため、横瀬浦では仏教徒の居住を禁止し、港には司祭の許可なく異教徒が住むことは許されず、港の周囲2レグア(1レグア=5.5km)の半分を教会の所有に、さらに貿易商人に10年間税を免除しています(洗礼を受けてからは、仏教弾圧にも乗り出しています)。
ルイス・フロイスも開港時に横瀬浦に上陸、この横瀬浦で布教を開始しています。

大村純前の庶子でありながら、大村純忠が世継ぎとなったことで後藤家の養子となった後藤貴明(ごとうたかあきら)は、大村家の家臣団と呼応し、永禄6年7月27日(1563年8月15日)、横瀬浦を焼き討ちにしています。
ルイス・フロイスは、横瀬浦が破壊されたので平戸に近い度島(たくしま)に避難し、平戸から京に上洛、織田信長とも謁見し、戦国時代の貴重な歴史書『日本史』(Historia de Japam)を残しています。

このため横瀬浦は荒廃し、ポルトガル人との南蛮貿易のため、大村純忠は、元亀元年(1570年)に長崎を貿易港にし、以後、長崎の発展の基盤を築いています。

南蛮貿易時代に、教会があったとされる場所一帯が横瀬浦公園で、公園内には、教会を思わせる展望塔、資料館、ルイス・フロイスのほぼ等身大の像などがあります。
眼前の八ノ子島にはかつて南蛮船の目印とされた白い十字架も復元され、往時を偲ぶことができます。

横瀬浦公園
名称 横瀬浦公園/よこせうらこうえん
所在地 長崎県西海市西海町横瀬郷2933-12
関連HP 西海市公式ホームページ
電車・バスで 横瀬西港から徒歩15分
ドライブで 西九州自動車道佐世保大塔ICから約22km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 西海市商工観光物産課 TEL:0959-37-0064
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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