寺山炭窯跡

寺山炭窯跡

鹿児島県鹿児島市吉野町にある薩摩藩の木炭製造の窯跡が、寺山炭窯跡(てらやますみがまあと)。世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつになっています。薩摩藩の近代的西洋式工場群「集成館」で使われる大量の木炭を製造した石積み窯跡です。

集成館事業で必要な白炭を焼成した窯の跡

寺山炭窯跡

薩摩藩内では石炭の生産地がないため、集成館事業で使われる石炭の代用品である木炭を製造するため、安政5年(1858年)、薩摩藩11代藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)の命により設置された石積み窯。

炭焼の先端地で、備長炭を産する紀伊国・熊野に奉行・山本籐助らを派遣し、シイ、カシなど、木炭に適した照葉樹に富む寺山地区3ヶ所に窯を築いています(寺山炭窯以外の窯は、すでに失われどこにあったのかも不明)。

寺山炭窯は傾斜地を利用し、凝灰岩を壁として積み上げたもので1500度の温度に耐えられるのだとか。
城壁のように石垣が積み上げられ、アーチ型の窯口門が入口です。
内部は立て木で炭を焼いていたため、天井高は1間半(2.7m)、奥行きは2間以上(3.6m~4.5m)と、当時の一般的な炭焼き窯に比べれば、非常に大きな窯です。

集成館事業の反射炉、溶鉱炉では大きな熱源がなければ鉄を溶かすことができず、蒸気機関なども稼働させることができません。
燃料として用いる白炭(はくたん=火力の強い木炭で、備長炭が有名)を製炭しましたが、寺山炭窯で焼成される白炭は火持ちが良く、高温を発し、石炭に代わる木炭として重宝されたのです。


寺山炭窯跡は、スダジイ、マテバシイ、タブノキなどの照葉樹林が茂る寺山自然遊歩道(全長2.5km)途中にあり、寺山ふれあい公園側の入口から徒歩10分で到達(車は寺山ふれあい公園駐車場を利用)。
令和元年の大雨による土砂崩れ(炭窯北東側の遊歩道の上部斜面で土砂崩れが発生、遊歩道を含む炭窯の大部分が埋没)による復旧工事が行なわれていましたが、令和4年3月30日に公開が再開されています。

ちなみに寺山炭窯跡が「明治日本の産業革命遺産」の構成資産となる理由は、19世紀半ばに島津斉彬が日本全体を見据え、富国強兵・殖産興業による強く豊かな国づくりを目指した「集成館事業」に関連し、製鉄分野の試行錯誤の挑戦段階を示す施設だから。

画像協力/公益社団法人鹿児島県観光連盟

寺山炭窯跡
寺山炭窯跡
名称 寺山炭窯跡/てらすみがまあと
所在地 鹿児島県鹿児島市吉野町10710-68
関連HP 鹿児島市公式ホームページ
電車・バスで JR鹿児島中央駅から南国交通バス宮之浦団地行きで33分、三州原学園前下車、徒歩20分
ドライブで 九州自動車道薩摩吉田ICから約4km
駐車場 寺山ふれあい公園駐車場(90台/無料)
問い合わせ 鹿児島市教育委員会文化財課 TEL:099-227-1962
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
旧集成館反射炉跡

旧集成館反射炉跡

日本初の近代的な工場群である「集成館」を仙巌園内に設けた薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)ですが、藩の富国強兵、そして外国船への備えから嘉永4年(1851年)、オランダの技術書の翻訳書を参考に西欧の鋳造技術を導入し、大砲や武器を鋳造する

関吉の疎水溝

関吉の疎水溝

鹿児島県鹿児島市下田町にある用水路が、関吉の疎水溝(せきよしのそすいこう)。薩摩藩11代藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)の集成館事業で、動力源として利用された水源で、世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産

 

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