鹿児島県南九州市知覧町、標高170mほどのシラス台地に築かれた中世の山城が、知覧城(ちらんじょう)。平安時代末に郡司・知覧忠信が築城したと伝えられ、その後、変遷を経て佐多氏の居城となったもの。南九州の中世城郭の典型として国の史跡に指定されるほか、続日本100名城にも選定されています。
シラス地形を利用して築かれた中世の山城
近世の知覧武家屋敷群(南九州市知覧伝統的建造物群保存地区)の南1km、シラス台地と比高40mほどの切り立った崖を天然の要害として最大限に利用した中世の山城が知覧城。
南北800m、東西900m、面積45haという広大な城域で、本丸のほか、蔵の城(くらんじょう)、弓場城(ゆんばじょう)、今城(いまんじょう)という4つの独立した曲輪(くるわ)、そして幅70mの自然の谷を隔てた南西に式部殿城(せきつとんじょ)、児が城、南之栫の3つの曲輪で構成されていました。
本丸は南方に虎口を有し、南北70m、東西70mの曲輪で周囲を土塁で囲んでいます。
本丸南東の今城とは高さ40m、幅30mもの空堀で隔てられ、シラス台地の谷を巧みに空堀に取り入れています。
中世には知覧城の東隣に家臣団の屋敷が、また南西に城主館があったと推測されています。
文和2年(1353年)、足利尊氏の命により島津氏4代・島津忠宗(しまづただむね)の三男・佐多忠光に知覧の領地が与えられ、以降は佐多氏の居城となっています。
10代当主・佐多久政は、天正15年(1587)、豊臣秀吉の島津攻めで討ち死にするなど、島津氏配下として存続。
元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となっていますが、知覧城の支城・亀甲城の山麓に知覧麓(ちらんふもと)が築かれ、藩政時代に武家屋敷が築かれています。
知覧城 | |
名称 | 知覧城/ちらんじょう |
所在地 | 鹿児島県南九州市知覧町郡 |
関連HP | 南九州市公式ホームページ |
ドライブで | 指宿スカイライン知覧ICから約9km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 南九州市文化財課文化財係 TEL:0993-83-4433/FAX:0993-83-3055 |
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