日米修好通商条約(安政五ヶ国条約)により、安政6年6月2日(1859年7月1日)に横浜港が開港すると、現在の日本大通りの西側に居留地が設けられますが、その海岸沿いの道がBUND(海岸通り)。関東大震災後に海岸は瓦礫で埋め立てられ、跡地が公園となって山下公園通りが生まれました。「日本の道百選」にも選定されています。
関東大震災からの復興で山下公園とともに誕生した新しい海岸通り
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関東大震災の復興事業として、東京では隅田川の橋梁群が架けられ、東京港が整備されましたが、横浜も港湾整備の一環として瓦礫や焼土などを用いて大正14年から4年がかりで埋立て、さらに上部を良質な土で覆土して山下公園が造成され、昭和5年3月15日に開園しています。
公園の造成とともに、海岸沿いにあったBUND(海岸通)は山下公園通りに付け替えられ、美しいイチョウ並木の通りとなっています。
現存するイチョウ並木も震災復興事業で昭和3年から順次植栽されたもの。
実は、この並木の下も、倒壊した建物の瓦礫などが埋まっているのだとか。
「最新式設備とフレンチ・スタイルの料理」をキャッチフレーズにしたホテルニューグランドも山下公園通りに沿って、昭和2年12月1日開業。
ドリア、ナポリタン、プリンアラモードなどがこのホテルから誕生しました。
また、開国のイメージを残す歴史的な地区ということで、4階以下の階を住宅用にしてはいけない、マージャン屋、パチンコ店などの建築も不可など整備計画が定められています。
「関内景観計画・関内景観協議地区」にも指定され、美しい景観が保たれています。
ちなみに「日本の道100選」は、居留地のBUND(海岸通り)が前身の山下公園通りと、山手居留地のメインストリートである山手本通りがセットで100選に選定されています。
つまりは山下、山手両居留地のメインストリートが「日本の道100選」という粋な配慮です。
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山下公園通り | |
名称 | 山下公園通り/やましたこうえんどおり Yamashita Koen-dori St. |
所在地 | 神奈川県横浜市中区山下町 |
電車・バスで | 横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩4分、またはJR・横浜市営地下鉄関内駅から徒歩13分 |
ドライブで | 首都高速横羽線横浜公園ランプから約2km |
駐車場 | 山下公園駐車場(223台/有料) |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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