高知城・山内一豊妻千代像

高知城にある千代と馬の像。初代土佐藩主となった戦国大名の山内一豊(やまうちかつとよ)。その妻・千代(ちよ)が、高価な名馬を購入するため、持参金、いわばへそくりを夫に差し出したという有名な逸話がモチーフとなっています。

千代の内助の功を顕彰する像

江戸時代中期の逸話集『常山紀談』(じょうざんきだん/著者は備前岡山藩主池田氏に仕えた徂徠学派の儒学者・湯浅常山)に「山内一豊馬を買れし事」が記され、千代が差し出した黄金十枚で、一豊が駿馬を買い、これが馬揃え(戦国時代の軍事パレード)の際に信長の目に留まり加増され、やがて土佐24万石の城主となる立身出世に繋がったという話。

戦国の武士にとって、名馬を持つことは戦闘の勝敗を分けるだけでなく、武士としての価値を高める誉(ほまれ)ともなっていたのです。

内助の功として知られるこの逸話は、司馬遼太郎作の歴史小説『功名が辻』に描かれ、平成18年に放映されたNHKの大河ドラマ『功名が辻』(主演・仲間由紀恵・上川隆也)にも登場する名場面。
像は内助の功の伝説を顕彰して、昭和40年に高知商工会議所婦人会が建立したもの。
「山内一豊之妻」の題字は元総理大臣・吉田茂の筆。

山内一豊の妻の名は「千代」とも「まつ」ともいわれ、実は定かではありません。
千代の生誕の地(出自)も諸説ありますが、郡上八幡(遠藤盛数の娘)が有力。
岐阜県郡上市の慈恩寺が所蔵する美濃郡上八幡城主・遠藤氏の系図に、遠藤盛数の娘が山内一豊室であるとの記載があったため。
ただし、『寛政重修諸家譜』の山内氏系譜によれば、浅井氏家臣・若宮友興(わかみやともおき)の子とされ、司馬遼太郎の小説『功名が辻』はこの説を採用していますが、近年の研究で若宮友興の娘は山内氏家臣・五藤為重に嫁いだ事が判明し、千代は遠藤盛数の娘だろうことが有力となっています。
一豊の死後、妻・千代は出家し見性院(けんしょういん)となり、60歳で没しています。
「山内一豊と千代 婚礼の地」の碑は金華山山麓の岐阜公園(岐阜県岐阜市)にあり、墓所は高知県高知市の山内家墓所。

高知城・山内一豊妻千代像
名称 高知城・山内一豊妻千代像/こうちじょう・やまうちかつとよつまちよぞう
所在地 高知県高知市丸ノ内1-2-1
関連HP 高知城公式ホームページ
電車・バスで とさでん交通で高知城前下車、徒歩10分
ドライブで 高知自動車道高知ICから約5.5km
駐車場 高知公園駐車場(65台/有料)
問い合わせ 高知城管理事務所 TEL:088-824-5701/FAX:088-824-9931
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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