維新の門(維新の群像)

平成7年に中世の山城跡である和田城跡に設置された龍馬、那須信吾・俊平父子ら檮原町にゆかりの勤王の志士8人を讃えた像が維新の門(維新の群像)。現在は、川西路地区構造改善センターの広場になっていますが、高台に位置しているので眺めも良好。維新の群像は予土国境・韮ヶ峠(にらがとう)を向いているのだとか。

檮原町にゆかりの勤王の志士8人を讃えた像

坂本龍馬は、文久2年(1862年)3月24日に高知を出奔し、翌3月25日に檮原に到着。
その夜、檮原村の勤王の志士である那須俊平(土佐一の槍の達人)・信吾父子の家に宿泊。
3月26日に那須俊平・信吾の道案内で宮野々番所を抜け、四万川茶や谷の松ヶ峠番所を抜けて、予土国境(愛媛・高知県境)の韮ヶ峠に至り、盟友・沢村惣之丞(さわむらそうのじょう)とともに土佐藩を脱藩。
檮原からも文久2年〜3年に吉村虎太郎、中平龍之助、前田繋馬が国境を越え、維新動乱の渦中に身を投じています。

案内役の那須信吾は、韮ヶ峠より引き返しましたが、那須俊平は脱藩後も同行し、小屋村(現・西予市)、水ヶ峠(大洲市)を経て26日は泉ヶ峠(内子町)に宿泊。
3月27日、宿間村(内子町)に到着。
那須俊平はここで見送り、坂本龍馬、沢村惣之丞は船便にて長浜(大洲市長浜)に至っています。
3月27日夜は長浜の冨屋金兵衛宅に宿泊。
翌3月28日に長浜から船で2日を要して三田尻(現・山口県防府市)へと瀬戸内海を渡っています。

坂本龍馬脱藩の道

那須俊平・信吾邸跡→(徒歩10分/1km)→六志士の墓→(徒歩10分/0.5km)→旧掛橋和泉邸→(徒歩10分/1km)→神幸橋(みゆきばし)・三嶋神社→(徒歩20分/2km)→ 維新の門(維新の群像)→(徒歩40分/4km)→宮野々番所跡→(徒歩2時間/8.5km)→茶や谷の茶堂→(徒歩15分/0.5km)→松ヶ峠番所跡→(徒歩2時間10分/6km)→韮ヶ峠(予土国境)

三嶋神社・神幸橋近くの脱藩の道
維新の門(維新の群像)
名称 維新の門(維新の群像)/いしんのもん(いしんのぐんぞう)
所在地 高知県高岡郡檮原町川西路
関連HP 檮原町公式ホームページ
ドライブで 高知自動車道(須崎道路)須崎西ICから約45km
駐車場 檮原町役場駐車場(150台/無料)
問い合わせ 梼原町生涯学習課 TEL:0889-65-1350
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/高知県

 

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