比江廃寺塔跡

南国市比江土居屋敷にある古代寺院の塔跡が比江廃寺塔跡。塔の心礎だけしか現存しておらず、寺の名前も定かでないため「比江廃寺塔跡」という通称で呼ばれています。白鳳時代に古瓦も出土し、伽藍配置も法隆寺式であることから高知県では最古の寺院だということが判明しています。

古代にここに法隆寺のような寺院が建っていた!

礎石の大きさは、縦3.24m、幅2.21mで、それに径81cmの穴(柱孔)が開いています。
一般的に白鳳時代の塔の高さは礎石に開く柱孔の径の40倍であることから、古代にはここに高さ324mもの塔が聳えていたことがわかります。
ちなみに法隆寺の五重塔は高さ32.45mなので、まさに同じ規模ということになります。
江戸時代には、金堂の礎石も残っていましたが、国分川(こくぶがわ) の改修に使用され心礎を残すのみとなっています。

かつてこのあたりに道源寺という寺があったことから、道源寺の礎石とする説、さらには土佐国分尼寺の塔礎とする説もありますが、定かでありません。

ちなみに高知県には比江廃寺跡のほかに、土佐国分寺跡(南国市国分)、秦泉寺廃寺跡(じんぜんじはいじあと/高知市中秦泉寺原野)、野田廃寺跡(土佐市高岡町丙白石)などの古代寺院の跡が発見されています。

比江廃寺塔跡
名称比江廃寺塔跡/ひえはいじとうあと
所在地高知県南国市比江
関連HP南国市公式ホームページ
ドライブで高知自動車道南国ICから約2.7km
駐車場なし
問い合わせ南国市生涯学習課 TEL:088-880-6569
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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